映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

片岡翔監督「この子は邪悪」3759本目

<ネタバレあります>

TSUTAYAの企画コンペ入賞、と聞いて、誰が企画してどのように映画化されたのか?と思ってTSUTAYAのサイトを見てみたら、片岡監督自身の企画で、彼自身が脚本と監督をやったんですね。監督としては初めての作品だけど、商業映画の脚本を多数書いた経験がすでにあります。それでなんとなく納得しました・・・サスペンスホラーものって、だいたい相当の無理があるもんだ。A24の高く評価されてる作品だって、筋を要約したものだけ読んだらたぶん、無理無理すぎて白けてしまうかもしれない。それをベースにどう観客を引き込むかは、演出の部分にかかってるのだ。つまり、無理無理とはいえアイデアは面白くなりうるものだと私は感じました。

もっと面白くなりえたポイントは他に、見た目に既視感があって従来の日本の家庭ホラーの舞台を踏襲しすぎてる気がするのとか、玉木宏のインパクトというか圧がありすぎて、画面を支配しがちなので、これがめちゃくちゃ地味でやさしげなおっさんだったらもっと怖かったかもとか。

「母」のホクロに気づいて顔に触ったら目玉がぐるぐる回るのとか、この映画では不要だと思うけど、プロデューサーか誰かが「もっと派手な演出を混ぜなきゃ」みたいなアドバイスをしてしまったんだろうか。あの部分ちょっと浮いてましたよね。

タイトルの「この子」って誰だろう?がラストでわかるんだけど、もう少しなにか・・・なんだろう。感動するほどの驚きがあったらいいのにな。企画のときのタイトルは「ザ・ドールハウス・ファミリー」だったらしい。何か違う味付けをしたこの作品を、たとえばどこか外国でリメイクしたのとか、すごく見てみたい気がしています。

 

武内英樹 監督「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」3758本目

国内便のフライトでも、羽田那覇便くらい距離があると映画1本見てしまえる。・・・はずだったけど、疲れた帰路だし空港でオリオンビールを飲んだとなれば、途中で寝てしまうのは当然・・・最初は「今回も超おもしろ!」と盛り上がってたのに気を失っていたようで、巻き戻して見直して、最後は飛ばし飛ばしなんとか結末まで見ました。

振り切った演技や演出、極端な美術など、魔夜峰央的な世界をとことん(勝手に)作り上げていてアッパレですね。ネタも、埼玉がこうなら関西ならこうだという、日本人の誰もが潜在意識下に持っている、偏見?と考えだすと二度ともう口に出せない絶妙なイメージを「ほーらこれだろう」と見せてくれて、なんとも気持ちいいです。飛び出し坊やとか・・・。

GACKTと杏はりりしくてカッコよく、堀田真由や朝日奈央、和久井映見は天然っぽい可愛さがフルに出てるし、アキラ100%はしばらく「この人知ってるけど誰だっけ」と考えてしまうほど普通に埼玉のお父さんだし。・・・でも、ネイティブ関西弁の愛之助&紀香の夫婦+川崎麻世も最高でしたね。(藤原紀香や沢口靖子は、関西弁で話してると演技がうまく感じられる。いつもだいぶ無理して標準語を話してるんだろうか)

さあこれで終わりなのか次があるのか。これ九州ネタでも作れるけど、埼玉や滋賀ほど面白く作るのは難しそうだな。大分vs佐賀なんて誰が見る?(←自虐)

 

関根光才 監督「燃えるドレスを紡いで」3757本目

いま旅行で那覇にいるのですが、今回は「暮らす旅」という趣旨でウィークリーマンションに滞在していることもあって、国際通りの裏道をぶらぶら歩いていたら「桜坂劇場」という、いかにもいい映画やってそうな映画館に行きあたったので、ちょうどいい時間から始まるこの映画を見てきました。(「人妻集団暴行致死事件」もやってたけど、これを旅行先でおばさん一人で見るのはちょっと)

ファッションデザイナーがパリコレに出す作品を作るドキュメンタリー、というと、ファッション大好きでなければ入り込めない世界かなと思うけど、このデザイナー、中里唯馬という人は、社会活動家と呼んでもよさそうなくらい確固とした主張のある人で、むしろその社会活動の記録としても見ごたえのある作品でした。

タイトルは象徴ではなくて、世界中から洋服が集められて販売されて、とうとう売れ残ってケニアで廃棄されて見渡す限りの山となってところどころ燃えている「布くず」を取り上げます。山に捨てられる直前の売れ残りの洋服のかたまりを日本に運んで、セイコーエプソンの技術でそれを叩いて崩したものを圧着して、ツイードみたいな風合いの布地を作り、それを生かしたドレスをデザインしてパリコレに出展しよう、という壮大なプロジェクトです。

かといって頭でっかちではなく、本人も”地獄”と呼ぶ試行錯誤を経て、出来上がったドレスの美しいことといったら・・・。この人なかなかすごい人です。思想家、活動家兼、日本から現在唯一パリコレに出展しているデザイナー。総合的にいうと「現代美術家」のように見える。たたずまいは上品でたおやか、語り口はやわらかいけど、意見は確固として譲らない。

どうすればこういう、たたずまいが美しい人になれるのかな。自分を知って、自分を肯定し、周囲に影響を与えられると静かに信じていられるからか。

「洋服はもう十分にあります。もう洋服を作るのはやめてください。」とケニアの人たちは言っていた。その通りなのだ。食べ物みたいに消費するとなくなるものじゃないから、まだ着られる衣服は製造するとどんどん積み重なっていく。

といっても、ビジネススーツをずっと着ていると肘のところが光ってきたり、襟元が薄汚れて薄くなってきたりする。寿命はある。ダメになった部分だけを取り換えられる洋服も、中里氏は作っている。やむにやまれない工夫だろうな。セーターなら糸に戻して、弱ったところだけ除いて編みなおせるし、浴衣や着物もほどいて作り直せる。カスタマイズが進むと使いまわしが難しくなる・・・。

そもそも、石油原料のポリエステルで安い衣類をどんどん作って使い捨てるのって、ガソリン車や火力発電と同じだもんね。大きな課題だと改めて実感しました。

アキ・カウリスマキ監督「コントラクト・キラー」3756本目

冒頭に大写しになる男、ジャンピエール・レオに似てるな、そういえば「ラ・ヴィ・ド・ボエーム」にも出てたな、監督はこういう人が好きなんだなー・・・じゃなくてこれも本人でした。(なんでいちいち勘違いするんだろう、私)(だってカウリスマキ監督の映画に出るはずがない俳優だから)彼、どはまりですね。なんかMr.ビーンに見えてくるくらい、とぼけたギャグをかましてることが、彼が演じているとわかりやすい。しかめっ面なのに。北欧の人の場合、ギャグなのか真面目なのか普通なのか、知り合いがいなさすぎてわかりません。

言語は英語。ジャンピエールはイギリスで働く外国人という設定です。彼にも監督にも外国で外国語。「中をとって」って感じ。

ホノルルという名の暗い地下クラブ、中はいつものヘルシンキみたいな暗さだけど、ここもロンドンロケなんだろうか。その後カフェで殺し屋を待っていたときに現れた真っ白いプラチナブロンドの花売りの女性、すごく綺麗だけど、これは髪色が似合ってるからかも。(ブルネットだと普通っぽく見えるかも)ハスキーな声も素敵。

そうこうしていると、ロンドンらしくパンクっぽい音楽…と思ったら今度はジョー・ストラマー本人じゃないですか。1990年か、まだ若い。さすがいい声してます。…なんの突っ込みもなく流して、つぎは強盗の場面。とリズミカルにストーリーが進展していきます。その間ジャンピエールはずっと、カウリスマキ監督の主役然としてちょっと抜けた男をしっかり演じます。この人には実はコメディアンの才能があったのか。

起承転結もしっかりしていて、主人公たちに肩入れしていた観客もなんとなく納得する結末。この監督の作品をあまりまだ見ていない人に、最初に見てもらうと良い作品かもしれないですね。面白かったです。

コントラクト・キラー (字幕版)

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  • ジャン=ピエール・レオー
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アキ・カウリスマキ監督「白い花びら」3755本目

サイレントの白黒映画。映像に古さはないけど、音楽+文字だけの画面なのでクラシック感があります。もともとセリフがあっても一言もわからないフィンランド語なので、この形式になってもほとんど違和感ありません。

カティ・オウティネンさんは、育ててくれた人の妻として田舎で暮らす美少女。都会から来た女衒にそそのかされて道を踏み外します。

この人ずっとこんな役だなぁ・・・つまり監督から見て彼女は、不幸(または不機嫌)な女を演じさせたらヘルシンキ随一の女優なんだろう。日本でいえば木村多江、麻生久美子系の薄幸美女か。(この二人はにこやかだけど。にこやかなのに、はかない感じがある)

物語はシンプルに悲劇。古典的ですらある。まさにサイレント映画の時代感覚。カウリスマキ監督のユーモアの裏には、こういう落ちていくだけの悲劇性が、そういえばあるような気もする。だいたいみんな少し愚かで、だいたいみんな失敗する。アメリカのシアトルあたりでも、年間の日照時間が短いため日本から転勤して「冬期うつ病」になる人がいるという(だから家で紫外線ライトを浴びたりするらしい)くらいで、フィンランドなんてみんなちょっと悲観的なくらいが標準なんじゃないか、などと思ってしまう。

・・・でも大丈夫、カティさんは逆境にとことん強い女で、男がみんな収監されても死んでしまってもちゃんと自活して生きていけるから(のちの作品を現実だと思っているかのようなコメント)。

白い花びら (字幕版)

白い花びら (字幕版)

  • サカリ・クオスマネン
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アキ・カウリスマキ監督「真夜中の虹」3754本目

邦題いいですね。もともとのタイトルは船の名前だけど、それだと日本人にはピンとこない。父親も相棒も亡くして仕事もない、お金もない、しかも脱獄囚だ。だけどいい女と出会えて、これから二人で南へ向かう船に乗る、そこに「オーバー・ザ・レインボウ」が流れる。真夜中の虹だ。真っ暗な中の希望とみるか、希望の先は真っ暗闇とみるか。

どの国でも観光ガイドには風光明媚な場所や栄えてるところしか載らないけど、必ず過疎の村があり、廃坑があり、失業者も犯罪者もいる。そういう場所、そんな彼らを描いた作品は強烈に惹きつけます。惹きつけられてるのは私yやちょっと変わった人たちだけ?いや誰が見ても引き込まれるんじゃないかな~。生の人間性とか、原始的な人間の知恵とか感情が現れてきていて。

それにしても、「どこか明るいところへの逃避行」が常にカウリスマキ監督作品にはあるようだ。アメリカだったり南へフェリーに乗ったエストニアだったり。この映画で彼らはメキシコを目指してるらしいけど、やっぱりエストニア経由かな、まさか北極海からは行かないだろうから。そのままスカンジナビア半島をぐるっと回って、デンマークを避けてスコットランド北方を通ってメキシコ湾に出るのかな。この監督の作品では徒歩3時間のところを2泊はするので、メキシコまでの旅路を描いたら映画10本くらいできそうだ。

移民も難民も、本当はどの国も嬉しくない、あるいは面倒だと思ってるんだろう(それにしても日本はあからさますぎて恥ずかしい)、どんなに人手が足りなくても、自国の人を雇うことと比較にならない手間がかかるから。さまざまなカルチャーの人たちと交わることで新しいものが生まれる、その産みの苦しみなんだからうまくやりすごせればいいけど、やりすごすのが難しいから映画ができる。その後2017年にカウリスマキ監督が、外へ出ていく人たちではなく、フィンランドへやってきた移民が登場する「希望のかなた」を撮ったことは興味深いですね。どの国の人も”隣の芝生は青い”わけで、長年監督が自己卑下してきたフィンランドに行って働きたいと願う外国人もたくさんいるわけです。

世界ってこれからどうなっていくんだろうな。国境は閉ざすことのほうが難しくなってるけど、画一的に見えてた各国の中のいろんなグループがどんどんバラバラになっていきつつある。かといって国境を越えた確固としたグループが別に形成されていく様子もなく、強かったコンクリートが破片になっていくように、ただただ細かく分かれていく。世界中の人たちがひとりずつ孤立を深めていく。せめてこうやって、自国では国民的な監督の作品をカルトのようにマニアックに楽しむアジア東部の日本人がいる、くらいのゆるいつながりをたくさん作れたら、私たちくらいは国どうしのケンカに反対しつづけられるだろうか。

前は笑って見てただけのこの監督の作品、最近はずいぶん深く考え込みながら見てるな~。

真夜中の虹 (字幕版)

真夜中の虹 (字幕版)

  • トゥロ・パヤラ
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新海誠 監督「すずめの戸締まり」3753本目

これ見てなかった。テレビで映画を見るのは久しぶりだけど、たまたまノーカットで放送してたので見てみます。

ハッピーな学園ものみたいな登場人物たちで始まるけど、新海誠だ(天気の子以来だから、なんと5年ぶり!)。そこまで楽天的ではないだろう。と思っていたら、タルコフスキーの「ストーカー」みたいな水浸しの廃墟がでてきた。・・・この監督、他にも水びたしの映画があった気がする。新宿御苑でも雨が降ってたな。

すずめの声は、「ミステリと言う勿れ」のあの少女か。あの映画ではちょっとわがままで幼い女の子になりきっていたけど、この映画では初々しくて勢いのある少女そのものだ。なかなかのものだな~。松村北斗も、まだ少し青いきれいな若者らしくて良いです。

途中から、全体のトーンが重いなと感じる。もしかして・・・と思って確認したらやっぱり、この作品には川村元気プロデューサーはいない。日本中を走り回るけど、なんだかどうも世界が狭い。出会ったばかりの美少年と運命のように命がけの旅をする。家族のことも忘れて、いきなりの二人だけの世界だ。この世界の狭さに説得力をもたせて、日本中、世界中のオーディエンスを引き付けようという強いエネルギーがない。多分こっちのほうが、本来の新海誠監督の世界なんだろう。私が毎回、「そんなお前の背中をバッチーン!と叩きたくなる」とか感想に書いてしまうやつ。

戻ってきたんだな・・・この世界は川村元気のいる世界より、さらに純粋で、はかなくてきれいだ。元気のおかげで、新海監督の世界を知ってほしかった観客に十分リーチできて、この作品も大勢が見て高く評価している。これはこれで良かったんじゃないかな・・・。

狭い狭い世界のなかで、国の未来や大勢の人の生死が決まる。決めるための行動は大義名分ではなく、あくまでも目の前の人のため。好きになった人を守り、彼を石にした猫を葬ることにためらいはない。(というか、そういう判断を誰でも毎日少しずつしているので、すずめが悪いヤツだと決めつけるものでもない)

この大きな判断は、なくてもいいかも。次はまた新宿御苑で完結するような小さい世界を描いてみてほしい気もします。