映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

イザベル・コイシェ監督「マイ・ブックショップ」2621本目

<ネタバレというか結末について触れています>

英国的な、地味な登場人物たち。華がないというか…長年、北風にさらされて下を向いて土を耕してきたような質実剛健の美しさを持つ人たちです。この映画は、そうやって地道に努力する人が権力者に踏みにじられる物語で、コイシェ監督は女ケン・ローチになろうとしているんだろうか。でもこの映画にはフィクションらしい時間の飛躍やドラマチックな協力者の死があってドラマとして構成されてるから、本当はあんまりケン・ローチ作品には似てないのかもしれない。

イザベル・コイシェ監督って、ペドロ・アルモドバルが後押ししてるスペイン出身の監督ということはわかってたけど、映画は英語ばかりなので、DVDの特典映像のインタビューがスペイン語でびっくりしました。彼女の映画はしんみりするんですよ。ラテン的な激しい感情が一切出てこない。著者のペネロピ・フィッツジェラルドはどこの国の人なのか。調べたらイギリス人ですね。ペネロペはスペイン語圏の名前だけど日本語表記がペネロ「ピ」になっているあたり、英語圏の人だとわかります。スペインの作家で監督と接点があったわけじゃないのね。役者たち(エミリー・モーティマー、ビル・ナイ、パトリシア・クラークソン、ジェームズ・ランス)が彼女について語るのも興味深いです。「Very generous」、あれこれ注文をつけずに演技させる監督なんですね。この特典映像はよかった。この映画では、繊細だけどなかなか頑固な店主フローレンスよりもさらに強情な少女(オナー・ニーフシー)がとても良いのですが、最後の最後に、この少女がグレイヘアの大人の女性になっていて、フローレンスの意思を継いで素敵な本屋を経営している場面が登場します。ナレーションがジュリー・クリスティなんだけど、最後に登場するこの女性を演じてるのは彼女ではないのかな。かなり似てると思ったけど映画のクレジットに「Thank you Julie Christie for her voice」しか出てないけど、その後「華氏451」を見直してみて、本の文化、表現の自由を守り続ける趣旨で彼女に協力を依頼したんだろうな、と気づいてちょっとじーんとしました。小さい街のブックショップが1950年代だから、この場面はきっと現代なんだと思います。これで見ている人は救われるんだよなぁ。(放火事件は自然火災として処理されたんだろうかなぁ)

ブックショップを屋外のロケ地は北アイルランド(UK)だそうです。でも室内の撮影はバルセロナでやったんだ。美術監督が「英語の本をこれだけ探すのは大変だった」って言ってるのが面白い。スペインと北アイルランドの距離は、東京とソウルと考えるとすごく遠く感じるけど、LAとダラスくらいと思うと大した距離じゃない気もします。老人、ミロ、意地悪なバイオレットの豪邸はバルセロナなんだ。全体的に、落ち着いてるけど印象に残る色合いも、スペインのデザイナーだったんだな。

私がフローレンスの立場だったら?私だったらおそらく、間違いなく、自分を叩きつぶそうとしている確固とした意思に出会ったら、地元にいつづけることが運命づけられているその人にあとを委ねて撤退する。それは正義を通す通さないという問題ではなくて、運命に長く逆らいつづけるエネルギーが私にはないからだけど。後からやってきた自分がその町に波風を立てようと思わない。自分の書店をつぶすためであってもその町にもう一つ書店ができて良かったじゃないか、くらい思うかもしれない。

ビル・ナイってほんとに素敵。こんなおじいさんに愛されたいなぁ。何にしても本をめぐる映画って全部好きかも。

マイ・ブックショップ(字幕版)

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  • 発売日: 2019/09/16
  • メディア: Prime Video
 

 

塚本連平監督「今日も嫌がらせ弁当」2620本目

先日行ってきたんです、八丈島。コロナが落ち着いた隙間を縫って、使いみちのなくなりそうなマイルを使って、東京から一番手軽に行ける離島へ。することもないのでホテルに置いてあった「流されて八丈島(八丈島に移住したマンガ家の体験記)」 を読破し、この映画のDVDも見ようと思ったんだけど時間切れ。で、テレビで放送するというのでさっそく見てみました。

元はブログなんだ。これも実話ベースなんですね。ブログが映画化される時代!!

反抗期の娘とコミュニケーションをとろうとキャラ弁を作り続ける母…ってすごくいい。応援したくなります。娘はそうとう意固地だけど、母のほうもムキになりすぎてて、不器用な母子なんですよね。でも、本当の気持ちはいつか必ず伝わる。見ている不器用で一生懸命な私たちも救われる映画でした。

映画のなかで八丈島を説明するとき、最初に映るのが私が泊ったホテルでした。やっと観光客が戻ってきた八丈島の人たちは、みんなオープンですごく親切で…一瞬、移住したらいくらで暮らせるか真剣に計算してしまった。行く前にこの映画を見てたら、出てくる居酒屋に絶対行ったんだけどな~。

もっといい季節にいつかまた必ず行きます。八丈島。

今日も嫌がらせ弁当

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  • 発売日: 2019/12/18
  • メディア: Prime Video
 

 

アマンダ・ステール監督「マダムのおかしな晩餐会」2619本目

<ネタバレあり>

舞台はフランスの映画だけど、アメリカ人夫婦の物語で、言語は英語なのね。なんと、英語をしゃべるロッシ・デ・パルマの恋の物語です。この人いい歳の取り方してるな。軽妙さが落ち着いて、安心して見ていられる。

原題は「Madame」なので、インド映画「あなたの名前を呼べたなら」の原題「Sir」と対になりますね。あっちも身分違いの恋の物語で、非現実的なハッピーエンドにはならなかったけど、こっちのエンディングは、それまでの物語と一転して「わかりづらい」。ミステリー映画ではないので、ここで急にミヒャエル・ハネケみたいに難しいエンディングにする必要はなかったんじゃないかなぁ。

メイドが仕事を辞して家を出た直後、画商はマダムの息子(二人の恋をネタに「メイド」という小説を執筆中)に、その小説のエンディングについて話をする。そのとき画商は「a woman I was fond of once told me not to despise people... that the people love happy endings....」という。これはメイドが晩餐会で言ったことなんだけど、彼女は「自分がかつて愛した女性」だと、日本語字幕でもことさらはっきりと過去形で書かれてました。恋は終わったのだ。そして画商はそのあと、嘘はいけないよ、と息子を諭します。

でもメイドが家を出たあとの表情は輝いていました。それは橋の向こうに彼を見つけたからではなく、彼に対してずっと正直だった自分が、終わったとはいえあんなに愛されたこと、あのマダムの家から解放されたことの喜び、ってことなのかな。

しかしこういう「上流階級のひとたちの晩餐会」って何なんだろう。ステキな既婚男女が知り合って気の利いた会話をして不倫に持ち込むための出会いパーティなんだろうか。本来はもっと政治的な、損得を目的とした人間関係を作るたものものなんだろうな。虚飾がきわまると、体裁ばっかりとりつくろうようになるもんなのかな。

トニ・コレットって「ナイブズ・アウト」でも高慢ちきな上流階級の女性役だったな…はまり役過ぎてつい使っちゃうんだろうな。こういうステレオタイプな役柄の人が大化けする映画も見てみたいです。 

マダムのおかしな晩餐会(字幕版)

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  • 発売日: 2019/05/22
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ビリー・ワイルダー監督「翼よ!あれが巴里の灯だ」2618本目

1956年の作品。ニューヨーク・パリ間の無着陸飛行が実現されたのが1927年だそうな。そのくらい飛べないと欧米間の空軍による対戦はできないし、アメリカが日本を空から攻撃することもできなかったわけだ。

しかし軍用機は小さくて軽いけど旅客機は重いので、私の友達が海外留学など始めた1980年代にはまだ日本からヨーロッパの飛行機もアンカレッジで途中駐機して燃料補給してましたね。私が初めて乗った国際便は成田ニューヨーク間の直行便、初めてのヨーロッパ行きは成田ロンドンの直行便。1990年前後のことです。「アンカレッジ経由」は私にとって、私より先に海外へ行った人だけが経験したちょっと憧れの世界だったな…おっと完全に脱線してしまいました。

この映画のジェームズ・スチュアートは、金髪の若者という役柄。普通っぽくてひょろひょろしてるところが、なぜか大泉洋を思い出しました。ご近所の若いの、といった親しみやすさ、多くの人が多分自分の若い頃だ、と思える普通さ。そんな特徴が共通してる気がします。

去年、与那国島空港で見た迷彩色の軍用機は、大きさはこれとあまり変わらないけど、中身の詰まった鉄のかたまりで、すごい轟音をたてて猛スピードで飛び去っていきました。それと比べると、リンドバーグの飛行機はまるで紙飛行機か「鳥人間コンテスト」、さもなければドローン!?のようで、ハラハラしてしまいますね。ただでもハラハラなのに、途中居眠りどころか完全に寝入ってしまったり、タンクを間違えて上空でプロペラが止まりそうになったり。33時間ぶっ続けで操縦なんて、いまどき地上のトラックでもNGですね。でもこういう、どこのスイッチを入れたらどこが動く、ということが明確なメカメカした機械って、コンピュータチップが全部制御しちゃって何がどうなってるかわからない機械より、なんかチャーミング。

アメリカとフランス、その途中の国々の協力がなければ実現できないんじゃないかな、こういう挑戦って。

最後は絶対、丸い化粧鏡をくれた女性と再会して「君の鏡のおかげで、僕は海中に突入しないで生きて帰ってこられたよ」っていうと思ったんだけどな! 

翼よ! あれが巴里の灯だ [DVD]

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  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: DVD
 

 

イアン・ボノート 監督「マックイーン:モードの反逆児」2617本目

ファッションは、「ファッション通信」を録画して見るくらい好きなんだけど、最先端のモードは私にとっては美術館で見るアートであって、自分で所有したり着たりするものじゃない。自分は清潔でサイズが合ったユニクロを着ていればいい。という存在だったので、アレキサンダー・マックイーンも、バーニーズ・ニューヨークに緊張しながら見に行っておそるおそる触ってみるようなものでした。モデルみたいな体形でメイクも上手な友達が嬉々としてドリス・ヴァン・ノッテンとかアレキサンダー・マックイーンを語ること自体がカッコいいなぁと思ってポーっと見てた。そんな感じなので、ファッションの世界の人のドキュメンタリーも、振り返ってみるとけっこう見てる。

彼の世界の驚異的な美しさには真っ暗な闇がある。裸にした肥満のモデルの顔をマスクで覆ったのは、トム・フォードが「ノクターナル・アニマルズ」の冒頭でパクった。ファッションにおけるアイデアは絞りつくされていて、最高の才能のあるアーティストたちが血を流してそれでも絞り続けてる。出てくるのはもはや、デヴィッド・リンチのアートや映画みたいな異形のものばっかりだ。

新しい美って常に、シーズンごとに見なきゃいけないものなのか?

コロナの影響もあって、ニューモードのショーをシーズンごとにやるのをやめようっていう動きが出てるとニュースでよみました。締め切りを決められないと出てこないものもある、追いつめるから出てくる美もあると思うけど、歌舞伎役者みたいに、必ず早死にするコースになってしまってる。ロックスターよりも休みにくい。極端なことを言うと、もう人は狂気しか美しいと思えなくなってしまったのかもしれない。

長く生きることが幸せなわけじゃないけど。どうやっても闇から逃れない人生なら、それをとてつもない美という形で見せることができた人が不幸とは言えないかもしれないけど。

そして、彼がいなくなってもファッション業界は続くんだよなぁ。

マックイーン:モードの反逆児(字幕版)

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  • 発売日: 2019/08/10
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宇崎竜童監督「魚からダイオキシン‼」2616本目

音声レベルが低い映画って聞き取れなくてきらい・・・羽田空港からの飛行ルートが変わって以来、真下近くになってしまった自宅では映画の音が今までにも増して聞き取りづらくなってしまいました。他の人の感想を見ると、それほど真剣に聞き取らなくてもいい気がしてきたので、流して先を見ます。

1991年に内田裕也が実際に都知事選に出たことを映画化したようだけど、たけし軍団の人とかたくさん出てるし、場面区切りとかもコメディ出身の人たちが作った余興っぽいな。都知事選に出て都民に投票してもらうための演説が英語って、ギャグだよね、きっと。(唐突に歌いだすのは日本語w)内田裕也がイキがる場面の最後に、天井からタライが降ってきて頭に当たってちゃんちゃん、となりそうな。

少女時代にはかなりロックを聞きこんだ私ですが、内田裕也が言うロックンロールも彼の音楽も全然かっこよく思えないのはなぜだろう。彼が推す若いバンドには好きなのもあったんだけどな。内田裕也って裸の王様っぽくて、こういう映画を見てもムカつくというより少し痛々しく思えてしまう。一生ずっと気取り続けるのって疲れたんじゃないだろうか。たいがいの若者は大人になるにつれて、気取るより自然体でいつづけるほうが難しいし大人だって気づくけど、彼は死ぬまで何かに憧れ続けたんだろうか。欧米に憧れたのか、それとも無国籍感を目指したのか。それより不思議なのは、そんな内田裕也を死ぬまで愛し続けた樹木希林のほうだ。あれほどの女優だった人が彼の中に何を見てたのか、私にはまだわからない。

スタジオで録音をしてるのはC.C.ガールズかしら。バブリーだけど歌詞は「中絶したくない」?

オートレースで出会うホワイトブロンドの青年は本木雅弘か。細いなぁ。彼も演技うまいのでワルに見える。この時まだ内田也哉子と結婚してないんだな(1995年だそうです)。

軍艦島でロケをしてますね。紙屑撒き散らしたり爆薬使ったり、この頃はまだ自由だったんだな…世界遺産になっちゃったあとは、絶対こんなこと無理!

内田裕也と映画館で隣に座ってしゃべってた妙に腰の据わった若い男は、誰だろうと思ったらアナーキーの仲野茂じゃないか。当時は好きじゃなかったけど、いい面構えしてたんだな…。など追憶をたどるには興味深い作品でした。(でもまだ見てない人は、見なくていいと思う) 

魚からダイオキシン!! [DVD]

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  • 発売日: 2008/12/26
  • メディア: DVD
 

 

ケン・スコット監督「クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅」2615本目

タイトル長い!

DVDに入ってる宣伝映像が全部インド映画なのを見て初めて、これがインド映画だと気付きました。インド人 in Paris(笑)。彼がイギリスの入管で捕まって、ミュージカルめいたものを歌いだす役人に戸惑う絵とか、イタリアのディスコで唐突にボリウッド風ダンスを踊りだす絵とか、すごく好き。インドの人たちの不思議なマジメさと明るさって、多文化と出会わせるとすごく違和感があって可笑しいなぁ。

原作はフランスの人なんだな。原作のほうにはタイトルにIKEAと入ってるけど、映画では社名には触れませんね。OK出なかったのかなー、真似する子どもがいると困るからかな。その後彼が入る大きな旅行用のトランクは原作ではルイ・ヴィトンですって。これは許可出ないわ!

スペイン人とイタリア人のハーフでフランス育ちの作家が書いた小説がフランス語で発売されたあと、30か国語に翻訳されて世界中で発売されたんですって。この映画の国はフランス・アメリカ・ベルギー・シンガポール・インドという国際色。世界一周ものと言っていい移動範囲の広さですもんね。しかし何でフランスとあまり関係ない本を書いたんだろう?…英語のWikiにちゃんと書いてありました。スーダンとかの移民問題に関心があったんですって。多分、十分すぎるくらい注目を集めたんじゃないかな。主人公がインド人である理由は書かれてなかったけど、主人公が最後に国に帰るという設定にしたかったから、帰れる国、ひどい内戦状態ではない国の人でなければならなかったんだろう。この映画ひとつで世界を変えられないとしても、私もこの作者みたいな気持ちを持ち続けたいなと思いました。