映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ケン・ローチ監督「この自由な世界で」3143本目

主役の女性アンジーは、移民の職業あっせんの仕事をよくこなしていた、ところまでは事実なんだろうけど、基本的に独善的でトゲがある。日本ではこのくらいの年齢になる前に、もう少しもまれて丸くなるもんなので、すごいなぁと思う。トレーラーハウスから人を追い出して、空いたところに住ませようとしていた移民のリクルートのために、結局彼女はウクライナへ飛ぶのだ。息子を誘拐されても懲りないというか、有り金全部取られてもまだ足りないから。どこかで糸を引いている上のほうの誰かにみんな搾取されていて、働かないことにはにっちもさっちもいかなくなって、悪だろうが何だろうが、日銭を稼ぎ続ける。

この作品は、最後に絶望がある最近の作品よりはまだ明るいのかもしれないけど、諸悪の根源はやっぱり遠くにあって見えてこない。ケン・ローチはこれほど長い間、社会問題に切り込んできたけど、そういう「本当に悪いやつら」はまだ見つからないんだろうか?

「この自由な世界で」、自由だけがあってお金も仕事もビザもなければ、ただ隠れて飢えるだけだ。イギリスの若者は、失業手当をあてにして何もしないでただ遊んでいる、と言われた時代があって、今は健康保険も相当改悪されてしまったらしい。財源もないのにばらまいていると、そういう帰結が来る。今の日本というか東京のこの先が恐ろしい。

移民のほうも、自分の国がひどいからといって、そこよりマシな国があるという期待はもう持てない時代なのかもしれない。私は少子高齢化の日本に、若い外国の人がたくさんやってきて、カラフルでバラエティに富んだ新しい世界ができたらいいのにと思っているけど、アンチの人たちをねじふせる力なんか持ってない。ケン・ローチの作品には東京の少し先の未来がそのままあるような気もして、ますます怖いな。

この自由な世界で (字幕版)

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ブライアン・デ・パルマ監督「ミッドナイト・クロス」3142本目

原題は「Blow out」。邦題もわざわざ英語だけど、なんとなく邦題のほうが魅力的な映画に見える。タイトル付ける人ってほんと大変だな…

<結末にふれています>

ジョン・トラボルタは、「サタデー・ナイト・フィーバー」と「パルプ・フィクション」のちょうど真ん中くらいの年代にこの作品に出ています。ブライアン・デ・パルマ監督の目の付け所。

感想ですが、なかなか映画の裏方の性(さが)を描いていてマニアックですね。本物の最後の叫びを「サイコ」のリメイクっぽい映画に使ってしまうとは…。犯人捕まってないし、ジョン・トラボルタは自分の仕事を優先して犯罪捜査に手を貸すのを止めたか。

音声収集に出ていたら、偶然録音してしまった事故?犯罪?の現場。爆発音の時点で起こっていたことはパンクなのか、銃声なのか。という調査は、日本の刑事ドラマとかでよくあるけど、わりとスリリング。地下鉄のホームで偶然作業していた清掃員のおかげで命拾いした強運のヒロインだけど、最後は…。その現場、花火の上がる広場で、建物の屋上で起こる犯罪は聞いている人はいても見ている人はいない。ブライアン・デ・パルマ監督の作品は、スリリングで美しい場面をちりばめるのがうまい。ドキドキしながら見ている観客の気持ちを知り尽くしているようで、名作ではないかもしれないけどとっても面白かった。この魅力、説明するの難しいな…。

 

アッバス・キアロスタミ監督「ライク・サムワン・イン・ラブ」3141本目

<ネタバレあり>

予告編が邦画ばかりだし、冒頭のバーにはケバい若い女性たち。ちょっと昔の日本映画だよな…と改めて監督名を確認して驚いてしまった(わかって借りたはずなのに)。

この監督の作品は、イランでもトスカーナでも、コミュニケーションのズレ、連絡の食い違い、誤解、嘘、がいつも発生する。この作品では、上京して”エスコートクラブ”でバイトしている女子大生、明子が主人公。場所や人の説明がないまま進むので、何度か巻き戻ししながら見ました。自分の理解のためにあらすじを書くと…

冒頭、彼女がいる派手なバーには、同じバイトをしてる友達の”なぎさちゃん”やクラブの社長がいて、どうやらバイトの待機場所らしい。その日の朝に上京してきて、彼女をずっと待ち続けている祖母。だけど、会いに行くと、この仕事をしているという疑いが確実になってしまう。

明子は結局、社長が無理に入れたエスコートの仕事で、ある老人の自宅にそのままタクシーで向かう。その住所を見つけられず、タクシー運転手が道を聞きに入った居酒屋をまさに出ようとしていた老人が、その客本人。誰もが誤解をして、はぐらかす本人たちは嘘にずぶずぶはまっていく。客である元大学教授は、もうこの先どうなってもいいと思っているのか、「大丈夫、大丈夫」で通そうとするが、明子の彼氏に車を修理してもらっている間に旧知の男にばったり会ったことから嘘がばれて…。

ばれた後は明子が殴られて、教授の家に彼氏が殴りこんきて、完全に詰んじゃったけどさあどうする、で終わります。この終わり方は大丈夫なんでしょうか(笑)

「トスカーナの贋作」の、嘘と本当が完全にミックスしていく不思議な感じは、フランスの映画ならありそうだけど、日本が舞台だと違和感ありそうだなと思ったものでした。やってみたらやっぱり難しかった(笑)。面白かったけど置いてけぼり感が強い。キアロスタミ監督は善悪も幸不幸もなく、やっちまったことと、そこから分岐してしまった運命を、ただ広げて見せる。ものごとを収束させて終えることがない。

なんとなく、面白く見ている映画は、誰か一人でもいいからまあまあ幸せに終わってほしい、と多分私は思っているから、見終わってもまだ咀嚼できてないです。このあと駐車場の向かいのオバサンが110番して警察が事情聴取、明子の違法なバイトと老人の違法な買春と彼氏の暴行で全員逮捕だ。監督の映画は、嘘のほうが生き延びることが多くなかったっけ?どうして今回はカタストロフィなんだろう。みんな悪いやつだから?イランでは作りえない、売春が中心にある作品だから、どこか監督の正義感が現れてくるのかな。嘘が暴かれたところで誰も死にゃしない、と思ってるのかな。まあその通りだ。

多分、この作品を初めて通しで見てスカッとする人は、売買春をする人たちを普段から快く思ってない人たちかな。私も快くないけど、映画の中心にいる人たちにはどうも感情移入しがちなんだよな…。と考えると、だんだんこの結末でいい気がしてきました。

もっといろんな国で、様々な映画を撮ってみてほしかったです。

 

入江悠 監督「劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」3140本目

一度なにかのフェスで見たことがある。調べてみたら2014年にさいたまスーパーアリーナでやった「VIVA LA ROCK」だった。多分エレカシ狙いで行って、「ゲスの極み乙女。」「赤い公園」とかも見たな。今の若い子たちは実に健全な、運動会みたいなノリでライブに行くんだなーと思った。「かまってちゃん」はなんだか甘ったれたような不思議なバンドだった。これはこれでアリかな。

この変なバンドをどう映画化するというのか。彼らの映画じゃなかった。何で二階堂ふみ?ポールダンサーのシングルマザー。そういう人たちが聞いてるんだろうか。彼らの音楽というかやっていることからは、「怒ってもいいんだぞ」って言われてる気がする。かなりサブカルというか、アンダーグラウンド世界のアーティストのように私には見えるけど、今は誰でも音楽を聴く時代ってことなのかな。世界は細分化されつつ拡張を続けている。

2021年現在もめちゃくちゃ活動しているようだ。面白いものが増えることも生き延びることも私はわりと嬉しいです。でも映画好きな人が映画としてまじめに見るための作品ではないな。私は音楽好きとしてそれなりに楽しみました。

 

濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」3139本目

<結末にふれています>

カウチ映画派の私が2日続けて映画館に通うとは。何としてもすぐ見たい作品が続く幸せをかみしめています。

村上春樹のほうは、「ドライブ・マイ・カー」を2015年に読んでました。ヤツメウナギとか、不愛想な若い女性ドライバーとか、よく覚えてるけど、広島のワークショップは覚えてない。どこまでがオリジナルなのか…読み直してみなきゃ。濱口監督は2016年に「ハッピーアワー」を見てその方法論に驚き、以降メジャーになる前の短編も見たりして追っかけています。前に何かで読んだ、徹底的に棒読みで読み合わせをさせて、いざ演じるというときの感動を高める演出方法は、劇中劇でも行われていましたね。

この作品も、私はとても好きです。前述の方法論だけじゃなくて、欠落を抱えて生きていく人に必要な何かを、探し続けているところが。みさき(家福夫妻の亡くした娘と同い年)と悠介が雪に埋もれた家を前にする場面と、チェーホフの舞台で悠介演じるワーニャに韓国手話でソーニャが聖母マリアのように語り掛ける場面で、彼は二度救われる。(近くの席の男性たちの鼻をすする音が聞こえてきました)私は泣かなかったけど、やっぱりちょっと気持ちが軽くなって帰って来た気がします。

家族や大事な人を失って、大きな穴を抱えて生きている人って多分けっこうたくさんいる。私にも悠介とみさきのような瞬間が、何度かあったなと思い出していました。立ち入った個人的なことは話したことがなかった友人から秘密を打ち明けられて、自分も黙っていたことを打ち明けて、共有して、一つになれた瞬間。生きているとそういう瞬間がたまにあるから、人間は欠落を抱えても生きていけるんだ。

それから、みなさん感想に書いているように、高槻vs悠介の車内対決は歴史に残る場面でした。あの、少し気持ちよさそうに薄ら笑いを浮かべて彼女の”ピロートーク”を語る、生意気で美しい自然児。この場面が美しくなければならないから、この役は岡田将生だったんだなと納得。

西島秀俊も素晴らしかったですね。彼はどこから見ても(朝ドラで見ても)隙なくカッコイイのですが、埋められない心をもつ男の表現も文句のつけようがなかったです。

映画が終わったあと、(登場人物だけど)悠介は役者兼演出家を続け、「ワーニャ伯父さん」のワーニャは彼の定番としてこの先何百回も公演を重ね、みさきは…視力が落ち始めた悠介から車をもらって、福岡からフェリーで釜山へ渡り、韓国語を操って買い物などしている。「チ・ン・ピ・ラ(ずいぶん昔の映画だ)」で主人公たちがハワイだかアメリカだかへ渡る夢を見るのが、今なら現実的に韓国に渡るのかなと思ったりしました。

濱口竜介は本当に脚本が素晴らしいですね。感情をこめて、むき出しにして、涙や鼻水をたらして顔を真っ赤にして叫ぶことが真実なんじゃないのだ。(だから瀬々監督はだんだん好きじゃなくなった、とか言わないほうがいいのかな)

声をカセットテープに残して逝った妻の名が「音」だったり、広島で出会う外国人がかつて日本がなんらかの形で統治した国々の人だったり、設定に含みはいろいろあるけど、背景として深堀りせず置いといてもいいと思ってます。言語が違っても気持ちが共有できることは、演技経験の長さを問わない監督の方法論の応用なのかもしれないですね。

それにしてもワーニャ伯父さんのソーニャの言葉は偉大だった。一度これも見るなり読むなりしたいけど、映画は見つからないな‥できれば舞台を見てみたいものです。

崔洋一 監督「血と骨」3138本目

ビートたけしが立ちすくむビジュアルを見ると、やくざ映画かなーたくさん人が死ぬのかなーと思うけど、実話だし家族の物語なので、暴力は多いけど殺人は(あまり)起こりません。どこの国のどの下町にもいてもおかしくない、荒くれものの物語。家族は辛いよな。でも振り回し、振り回されるのが生きるってことなんだろうか。引きこもって一人で生きることと、だいぶ違う「生」って気がする。

新井浩文って正体がわからない感じがするけど、ひょうひょうと悪いことをする役とか迫力あった。映画の世界には、いい人も悪い人もいてもいいと、ぼんやり思ってる。鈴木京香はずいぶんヒドイ目に合う役だけど、おばちゃんパーマもそれなりに似合う。

”極悪非道”な父を中心に描いてるけど、周囲の人たちも荒れている。女性たち、子どもたちを傷つけてるのは彼だけじゃない。これは半島の人たちだけのことではなくて、弱い者は弱い者をいじめるのだ。「いじめをなくそう」「けんかをやめよう」がどんどん空しく聞こえてきて、もっと深く考えたり、逃げ場を作ることしかできない気がしてる。

人は、身近なことや外のことに傷つけられて家族や近くにいる人をいじめ、家族が結婚しても、死んでも、集まって飲む。自分の家族への思いが「血と骨」というタイトルに込められていると思うけど、見る方としては、この映画の中で起こっていることは、世界中のあちこちで起こっていることだから、血縁や民族にせばめないで普遍的なものとして見たいなと思っています。

血と骨

血と骨

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タカハタ秀太監督「鳩の撃退法」3137本目

佐藤正午はもう何十年もずっと愛読している作家なので、久々の映画化を楽しみにしてました。直木賞を受賞した「月の満ち欠け」よりこっちのほうが面白かった一方、複雑だし主人公が地味すぎて、まさか映像化されるとは。彼の小説に主人公としてときどき出てくる「津田伸一」は、女たちと「ほぇ」とか言い合ってる血圧低そうな男で、俳優でいえば森本レオみたいな、つかみどころのない、巻き込まれ型の男なので、藤原竜也はイメージから遠くて、どう料理するんだろうと思っていたけど、意外と別ものとしてハマりましたね。電通が入ってド派手な広告打ったりして、大丈夫かなーと心配もしてたけど、下積みの長いファンとしては、こういう表舞台の人たちが面白いと思ってここまで盛り上げてくれてよかった。何より、制作サイドが本当に面白いと信じて、原作や作家をリスペクトしていることが伝わってきたのが嬉しい。(結末はちょっと大衆におもねた気もするけど、まぁ想定の範囲かな)

ぬまもと君いいですね、合ってますね。デリヘル嬢たちも浮気妻たちも、デリヘルの社長も床屋も影の黒幕も。編集者の女性が土屋太鳳というのはちょっと意外かな、私のイメージだともっと市川実日子とか。風間俊介の暗さはイメージに近いけど、バーテンダーってもっと目立たない人かなという気もする。佐津川愛美はちょっとワルイ女がうまいけど、小説を読んでいたときは地味で普通の人だと思っているから、夫との会話には映像よりずっと緊張が走りました。

音楽もよい。佐藤正午っぽくはないけど、この映画として、よくわかってくれてる感じ。 

この監督の作品はあまり見てないかなと思ったら、映画ブログを書き始める前に見た「ホテル・ビーナス」はかなり好きな作品でした。ウラジオストクのホテルで撮ったと聞いて、いつか行ってみたいと本気で思ってるくらい。監督はテレビの人、バラエティの人、というイメージだけど、津田伸一好きなら趣味が合うはず!

ストーリーはわりと原作に沿ってると思いました。エンドロールに文字で見せたりするくらい、大切にしてる感がある。登場人物が多くて複雑にからみあうので、映像で人の顔を見られるほうが、活字を追うよりずっと筋がわかりやすい。しかし、この映画を見て初めて作者のことを知って、上下2冊の大長編の原作を読んでみようと思う人は、面白いと思うんだろうか。ちょっと想像つかないな。

佐藤正午の作品はたいがい舞台が地元の佐世保あたりだけど、雪が降り積もることが重要な場面があるので北陸の富山にしたんだろうな。深夜営業の喫茶店やバー(これは高円寺)は、かなりイメージ通りだった。

なんだか、実際に存在する(あるいは、した)現実を、佐藤正午はあのように小説に書き、タカハタ監督はあのように映画にした。という気分ですねー。違う表現もあるけど同じ事件。とても面白かったです。満足。

さて、原作、3回目読むかな‥もう少しヒマになったら…。

「鳩の撃退法」気に入った人はぜひ「身の上話」あたりも読んでみてください!もっとコワくて面白いから!