映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

フェルナンド・メイレレス 監督「シティ・オブ・ゴッド」3225本目

すごく面白かった。悲惨な恵まれない子どもたちの映画…とは描かれてない。スラムの子どもギャングたちがどんな風に世代交代して、どんな風に凶悪化していったかを語るのは、カメラの後ろという傍観者の地位を手に入れたことで生き延びて、抜け出すことができたカメラマン。当事者である彼が自分の生い立ちを語るうえで、地域の仲間を見下すような視点はない。みんな生きて、死んだ。いろんな奴がいた。といった調子。原作があるけど、おおむね登場人物は実在してたらしい。

サンバの国の人のリズム感なのかな、せりふや場面転換の切れが良くて、全体がいいテンポの踊れる音楽みたいに気持ちいい。貧しい暮らしだけど人々はカラフルで、画面が、なんというか、盛り上がってる。すごいエネルギー。

銃の入手ルートがなければ、殴り合いのけんかで済むところが、皆殺しできてしまう。悪い大人は子どもたちを手中に収めるために武器を配る。どこの世界にも、極悪化する素質を秘めた悪童が存在して、愛情やお金や教育や、何か大事なものが欠けていると暴発しやすくなる。

リトル・ゼ(ダイス)のような子が町の秩序を変える。一度乱れたものは戻らなくて、暴徒みたいな子どもたちが無秩序に強奪殺傷するだけ。”解決”とか言ってる間に、逃げ出すしかない。

引き続き、続編も見てみます。

シティ・オブ・ゴッド(字幕版)

シティ・オブ・ゴッド(字幕版)

  • アレッシャンドレ・ロドリゲス
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ベネディクト・エルリングソン 監督「たちあがる女」3225本目

アイスランドが気になって、映画を見つけたら必ず見るようにしています。氷で覆われた真っ黒い溶岩でできた最果ての島。金髪碧眼の美しい人たちが、映画の中では割と突飛でどこかマヌケで、いい奴かと思ったらなかなかの問題人物だったりして、まったく掴めない。豊かなのかどうなのかわからないけど、物価はとても高くて、だけど何を食べてもだいたい美味しい。映画のテイストはフィンランドとも違うけど、島国らしい世界の狭さは常に感じられる。

オバハン(私もだけど)や爺様がおおごとをやらかす映画って、今でも新鮮に映る。まだまだ作品数が少ないのだ。この作品は、人間かエルフかわからない人がいっぱい出てくるし、たいがいの映画を見飽きた人にも新鮮なそういうポイントがいくつもあって面白いですね。これほど最果て感が強い国なので、まだ当分異端ネタで何作品も作れそうです。(ほめてます)

プチ・テロリストのおばはんの後ろについて回る名もない3人の楽隊(または、3人のコーラス隊)は、私は「おらおらでひとりいぐも」の半纏隊を思い出しました。

双子って遺伝子も同じなんだな~(当たり前か)

たちあがる女(字幕版)

たちあがる女(字幕版)

  • ハルドラ・ゲイルハルズドッティル
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キム・ドヨン 監督「82年生まれ、キム・ジヨン」3224本目

1982年生まれということは、現時点で39歳。原作が書かれたのは数年前としても30代後半、し烈な学歴社会のなかで塾にも通い、がんばって進学して就職して、結婚して出産してまだ子どもが小さい、という女性像は日本でも共感する人が多そう。この作品の前に見た「チャンシルさんは福が多いね」のチャンシルさんは、ジヨンよりちょっぴり年上だけど、結婚せずに打ち込んできた仕事を突然失って、家族の縁もこんなに強くない女性。みんながんばってる。泣きそうになりながら。

ひとつ言えることは、家庭に収まって落ち着いてしまった女性の無力感は圧倒的で、自分ひとりの力では事態を切り開くのがとても難しいということ。いじめっ子がいる学校を転校することが自力ではできない児童生徒みたいになってしまってる。

それでも、病人を病院に来させるのが一番の障壁だというのと同じく、自分でなんとかしようと思わない限り、事態は動き出さない。SNSでデマを読んだり拡散したり、知りもしない人たちを攻撃したりしててはダメなのだ。

私が勤めてた外資系企業の韓国オフィスでは、15年前に事務の女の子の夫が「主夫」をしてたという事実もあるので、この映画だけ見て「韓国の女性の立場は日本より厳しい」といえるわけでもない。進歩的なアクションがとれる個人もいるけど、それに対する反発もきっとすごいんだろうな。でも、あっち行き、こっち戻りしながら、少しずつ世の中が変わっていく。

 

キム・チョヒ監督「チャンシルさんには福が多いね」3223本目

韓国では働く独身女性がたらいで洗濯したり、大家さんちで肉をごちそうになったりしてるのか。(※一例だけ見て一般化は禁物)昔の学生向けの下宿みたい。家族と一緒みたいでちょっといいな。私こういう、普通の人たちの映画って好き。

女らしさを武器にしないで、ひたすら働き続けてきたチャンシルさん、よく見るまでもなく松嶋菜々子ばりの美形です。フランス語家庭教師の積極的アプローチは肩透かしすぎてルール違反ではないか…。

小津安二郎とクリストファー・ノーラン。私はどっちも好きだけど、チャンシルさんが映画に目覚めた「ジプシーのとき」のエミール・クストリッツァ監督のほうがもっと好きだ。この映画にはユーゴスラビア感は全然なかったけどなぁ…。

 

篠原哲雄 監督「犬部!」3222本目

面白かったけど、時系列が行ったり来たりする一方で、出演者たちの見た目が同じままなので、画面テロップの「200x年」をよく見ていないと混乱する。ワンコの成長で時系列をチェックすればよかったと、あとで気づく。

原作がノンフィクションで、同時期に別の雑誌2つで漫画化されたとのこと。その後別ルートで映画化されたらしい。重いテーマを扱うこともあって、全体的にわかりやすく、なるべく明るく描かれてるのはいいと思うけど、もともと一貫したストーリーとか流れがあるわけじゃないので、個々のエピソードを無理に1つにまとめたような、雑多な感じはある。「ゾッキ」だってそうなんだけど、あっちは場が固定されていてそこで様々な人に起こる様々な事件をつないでいたので、違和感はなかった。こっちが忙しい感じがするのは、やっぱり時系列が私にはわかりにくかったからかなぁ。

テーマの重さについて。飼っている犬や猫が子どもを産むとどんどん数が増える。カレル・チャペックというチェコの作家が描いた「ダーシェンカ」というすごく可愛い犬の本に、生まれた子犬を当時のチェコでは海か川かに捨てに行くという文章があって、読んだときに衝撃を受けたっけ。犬や猫を家族として受け入れて暮らしてきた人にとって、生まれた子どもをどうするかは、昔も今も重い問題だ。避妊手術が普及していなかった頃の人たちを悪く思いたくなくて、若い医師の努力が実を結ぶ前の十和田のセンターを「悪」と決めつけるのも辛い気がする。現場の人たちのなかには、ずっと心を痛めてきた人もいるし、辛いけど盲従してきたことを今は悔いてる人もいるだろう。「行政の責任」というのが正解だけど、民意の総意が選んだ首長が率いる地方公共団体がやっていることだし、若い医師っていう現場の一個人の病むほどの努力がなければ何も変わらなかったわけだ。つまり他人事として批判できるものじゃない。

中川大志が演じた、その「システムを変えるために獣医になってセンターに勤める」医師の、一番辛い部分を引き受ける思いの強さに頭が下がる一方、林遣都が演じた医師の「処分をゼロにする。生体での実験には自分は参加しない」という宣言や、警察やマスコミも動かすパワーがなければ、世論を大きく動かすのは難しかったと思う。

いろいろ考えちゃいますね。一見明るい映画だけど、すごく重いテーマだったな、と改めて思います。

犬部!

犬部!

  • 林 遣都
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ミシェル・ゴンドリー監督「エターナル・サンシャイン」3221本目

これ見るの何回目だろう。DVDまで持ってる。

暗いジム・キャリーとチャラいケイト・ウィンスレットという意外な組み合わせ、なぜか端役のキルスティン・ダンスト、イライジャ・ウッド、マーク・ラファロの重要性があとになってわかってくる面白さ。ミシェル・ゴンドリーらしいキュートでキャッチ―な画面。映画界きっての変わり者チャーリー・カウフマンの脚本なのに、愛?記憶?運命?の強さになんだか感動する結末。何度忘れても、また出会えばまた恋をする。この映画はアカデミー作品賞やパルム・ドールを取るような作品じゃないけど、すごく好きな作品です。

「アンモナイトの夜明け」で偏屈な中年女をみごとに演じたケイト・ウィンスレットはここでは青やオレンジの髪のフリーダム女子。90年代の原宿にいたよこんな子。演技派だなぁほんと。

5年くらい前にニューヨークに行ったとき、タイプ打ちの脚本のコピーを道端で売ってるのをぱらぱら見たら、違う結末になってたのを覚えてる。何度も「記憶消去」をしてはまた出会って恋に落ちて、を繰り返して老人になった二人がまた消去をしにクリニックを訪れるっていう。カウフマンの脚本はいつも少し厭世的で切ないけど、それをゴンドリーが味付けするとロマンチックになる。

いつもひょうきんなジム・キャリーの内面の暗さや、いつもはシリアスで大人っぽいケイト・ウィンスレットの子供っぽい部分も、すごく良かったのだ。

ジム・キャリー演じるジョエルは上手なイラストをよく描くんだけど、最近になってジム・キャリーは政治風刺漫画を発表してるとのこと。今考えるとあの一連のイラストは、彼自身のものだったんですね!

 

 

フランシス・リー監督「アンモナイトの目覚め」3220本目

<後半のストーリーに触れています>

U-NEXTの”見どころ”に書かれている「ウィンスレットとローナンの体当たりの演技合戦」がセンス悪いなぁ。濡れ場のことを”体当たりの演技”っていう、使い古された常套句。映画を見るのは女優のヌード目当ての男ばかりだと思ってるとしたら、女優たちだけでなく見る人もばかにしてるよなぁ…。

感想ですが、この映画を見ながら、「ピアノ・レッスン」を思い出しました。海辺の寂しげで美しい風景のなかで、乾ききっていた女性の心に情熱が呼び覚まされる。若い頃この映画のシアーシャ・ローナンのような役を演じていたケイト・ウィンスレットは、固太りで頑迷な中年女性をみごとに演じている。夫に支配されて死んだようになっている若い妻を演じたシアーシャ・ローナンも素晴らしいです。この天真爛漫な若い妻は夫に人形のように扱われ、欲求不満も抱いている。リー監督はネットで見つけたインタビューで、この時代は同性間の恋愛にタブーがなかったと言っている。「好き」に縛りがないと思えるなら、若い妻が化石屋の女性に焦がれてもおかしくはない、か。化石屋は以前、彼女よりずっと年上の女性の思いを受け入れなかったことが示唆される。

若い妻が夫に呼び戻され、別れがやってくる。彼女は化石屋と暮らす未来を夢見る。化石屋はもとの静かな暮らしに埋没している。大英博物館で見つめ合う二人。

若い妻が化石屋にしようとしていることは、自分が夫にされたのと同じことだ。彼女は化石屋だけでなく自分を、人間を、まだよく知らない。見ているものたちは、彼女たちの幸せな未来を望みつつ、そうはならないことをうっすらわかっている。

最近ほんとに、女性同士の恋愛の映画が多い。同性どうしのほうが政治や家族やいろんなしがらみのない、純粋な愛情を描きやすいんだろうけど。

「あなたは私のことが何もわかっていない」と化石屋が若い妻に言う。彼女たちに限らず、恋愛って自分の妄想を相手を借りて増幅させることなのかな、と最近思ってる。

ところで化石。アンモナイトの存在が映画じゅうずっと気になる。そんなにすごい、ありがたいもんなのか?以前シベリアのツアーで一緒になった女性(若くはないけどとても綺麗な人)が化石を買いたがったけど手に入らずがっかりしていたのを覚えていて、グランドキャニオンに行ったときに三葉虫か何かを買って送ってあげたことがあったな。とても喜んでくれた彼女は、その後元気にしてるんだろうか…(恋愛関係はありません)

アンモナイトの目覚め(字幕版)

アンモナイトの目覚め(字幕版)

  • ケイト・ウィンスレット
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