映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ニコラス・メイヤー監督「タイム・アフター・タイム」3285本目

切り裂きジャックとマルコム・マクダウェル。マルコムが殺人鬼ではなかった。彼は自作のタイムマシンを悪用して追っ手を逃れた切り裂きジャックを追いかけて現代のロサンゼルスへタイムトリップします。ロスのロンドン銀行の窓口にいたのがメアリー・スタインバージェン(その後この二人は現実に結婚する)。この頃のメアリーはケイト・ブッシュっぽいな。いや今も似てる。

H.G.ウェルズが本当にタイムマシンを使いこなしていたり、切り裂きジャックが登場したり…他愛なくて予見可能なストーリーだけど、すごく楽しいし、なかなかスリリングで良い映画でした。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はこの映画があったからできたんじゃないかな??

見てみてよかったです。

タイム・アフター・タイム(字幕版)

タイム・アフター・タイム(字幕版)

  • マルコム・マクドウェル
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濱口竜介監督「偶然と想像」3284本目

<各短編の結末にふれています>

このタイトルは、確信犯だと思うんだ。ジェーン・オースティン「自負と偏見」みたいに日本語だと全くピンとこないけど、欧米の映画の原題みたいな感じがあるから多分、欧米言語話者には響くタイトルなんだろう。実際初公開の映画祭で受賞したしなぁ…。

さて、大注目の濱口監督の新作。ソフト化を待とうかとも思ったけど我慢できず劇場へ。都内はBUNKAMURAル・シネマでしかやってないので、スクリーン2つ駆使してばんばん人を入れてます。劇場で見ると臨場感があるけど、日本では誰も大笑いしないし踊らないし(cf.インド)、家で見た方が手を叩いて大笑いできた部分もあったと思う。劇場で見る派のみなさんは、そういうの平気なのかなぁ。

で短編3本、どれも面白かったー!どれも大口開けて「ポカーン」でしたよね。実際に起こる可能性はどれも限りなく0に近いけど、ありえなさすぎて実写でいまだかつて誰も撮ろうと考えなかった隙間を、ずんずんすり抜けて行かれました。モーニングあたりの、ちょっと尖った新人の受賞漫画にならありそうかな?

「魔法(よりもっと確か)」…古川琴音の暴力的面倒くさキャラは、最近ちょっと流行ってる気がする。(cf「勝手にふるえてろ」「生きてるだけで、愛」)多数実在するけど、若い娘なのであまり大人たちが触れなかった、急所のような存在。中島歩は「花子とアン」のイメージが強いけどもう8年も前か。声が良すぎて、聞いてて照れる。玄理は清潔できれいで、見るからに中島とお似合いなのだ。観衆を味方につけてこの二人を応援させようとしてるのか。

「扉は開けたままで」…森郁月、大学のゼミの3歳年上の同級生を思い出した。ちょっとみんなより大人で、なんともいえずエロくて。彼女のキャスティング理由は、独特のえもいわれぬエロさだと思う。対する”セフレ”甲斐翔真のムカつくようなチャラさ。(魔法の「チャラいんじゃなくてイケメン」にあえて中島、この大学生に甲斐を充てる恣意性!)渋川清彦の初めて見る無表情トーク。ロンドンのパブでエキゾチックダンサーのポールダンスを、さも”たまたま入ったらこんな催しですかへぇ”みたいな顔で見ていた、肘あてつきのジャケットを着た英国紳士たちみたいな(例えが長い)内に秘めた下衆がほほえましい。賞とったんだしフィジカルな接点はないので、クビにまでしなくていいと思うけどな…。最後、編集者になった若者にはもうちょっとお灸を据えてほしかった気もします。

「もう一度」…この二人、既視感あると思ったら濱口監督の「PASSION」で共演してたのね。この作品も強烈で、最高にありえないようで、現実と皮一枚スレスレで起こってしまいそうな。「人違いかも?」と思ったら、普通は声をかけないし家にも連れて行かないけど、もしも一歩踏み出してしまったら、こんなに意外で面白いことが起こるかもしれない。映画化未踏の地は、世界の果てじゃなくて、見ないことにしていたごく日常的な気まずさの中にあったんだな。

こういう意外性の妙って、映画をほとんど見ない人には「繰り返し映画化されてきたテーマ」との区別がないけど、たくさん見てきた人ほど、何千本も何万本も見ても出会わなかったテーマだからインパクトが強いんじゃないかな。

やっぱり「スパイの妻」の脚本は(ex.「お見事!」)濱口監督の力が強かったんじゃないかなと改めて思う、会話の匠の作品でした。夏目漱石に見せてやりたいくらいだ…。

西川美和監督「すばらしき世界」3283本目

<ネタバレあります>

「ゆれる」の、「夢売るふたり」の、西川美和監督の作品。明るい未来やすばらしい世界など一切期待せずに見ます。

原作の佐木隆三は「復讐するは我にあり」の原作者か。あれも北部九州が舞台の犯罪小説だ。

これは…「由宇子の天秤」の前日譚みたいだな。番組制作者の描き方は、もしかしたら「天秤」のほうが辛辣かもしれない。(長澤まさみvs瀧内公美)でも役所広司演じる三上の描き方は容赦ないな。出所したばかりの人の中には、当たりの強い人や、典型的な”いい人らしさ”を感じにくい人もいるだろう。普通の中年男だってスマホやATMの操作に戸惑うことがあるのに、何年もシャバを離れて戻ってきた不器用な男が、うまくやれって言われても。。。

結局頼る兄貴を演じてるのが白竜ってのがまた、いかにもすぎる配役。今にも落ちそうになってたところを、どうにかこうにか非・極道の世界に戻ってきた三上は、コスモスの束と元妻の声に動揺しながら持病で息絶えてしまう。考えうる最もよい死に方かもしれない…出所以来誰も傷つけず、いい人のままで仕事も失わず、応援してくれる人たちの信頼も損なわず。(「よい死に方」って何よ?)

今初めて思ったけど、西川監督が”反社”とか王道を外れてしまう人たちを見る目には親しみがある。がんばっても空回りしかしなくて、こうなったら嫌だなというイメージばかりが現実になる人たち。この映画の三上を見る視線は、特に優しい。「ゆれる」や「夢売るふたり」では普通の人たちが落ちていくまでを描いていたけど、この映画ではすでに落ちていた男の魂が立ち直るのだ。死ぬけど。なんだか背中に羽が生えて天国に飛んでいけそうな死に方なのだ。

私がときどきボランティアに出かけている施設には、そこに関わったあとで亡くなった人たちの写真がたくさん飾られてる。みんな、いいことばかりじゃなかっただろうけど、いい笑顔なのだ。三上の写真もそこで笑ってるような気がしてくるな…。

 

ジョン・M・チュウ 監督「イン・ザ・ハイツ」3282本目

これも映画館に行きそびれてしまったやつ。寒波に襲われた日本列島で、こんなビーチの日陰で冷たい飲み物を飲んでる場面なんか見せられたら…

私はドミニカに行ったこともないし移民の知り合いもいないけど、日本でもアメリカでも移民の苦境について見たり聞いたりした印象が残っていて、この映画の最後では涙ぐんでしまいました。この話がフィクションでも、世界のあちこちにワシントン・ハイツのようなところがあって、泣いたり笑ったりしている移民の人々がいる。祖国も恋しいけど、生まれ育ったこの町がふるさと。。。

ウスナビもバネッサもニーナも素敵だけど、やっぱりアブエラが素敵。

かき氷「ピラグア」食べたい、ウスナビのコーヒー私も飲みたい…。

イン・ザ・ハイツ(字幕版)

イン・ザ・ハイツ(字幕版)

  • アンソニー・ラモス
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パオ・チョニン・ドルジ 監督「ブータン 山の教室」3281本目

17年ほど前にブータンに旅行したときのガイドの名前がウゲンさんだった。そのときに仲良くなった男の子たちの名前はカルマくんとドルジくんだったけど、一度連絡を絶ってしまうと、同じ名前の人が多すぎて、多分もう彼らとSNS上でつながることはできないんだろうなーと思う。

それはさておき。その後ブータンは国王が代替わりし、都会の若者たちは民族衣装を着ないで出歩くようになり、かなり変化があったらしい。といっても観光客が寺院をめぐって山道をバスで行くのはたぶん変わってないだろう。当時よりも都会と田舎のギャップが大きくなったんだろうな、都会の若者から見ると。ブータンはこんな映画が作られる国になり、都会っ子のウゲン君は観光客の自分に重なってくる。

彼が人口3人の村で泊めてもらった家で、ご飯をよそってもらうカラフルな竹かごは、今うちのテーブルの上でみかんを盛っているのと同じ。

見慣れたテーマの作品なんだけど、ペムザムちゃんのあまりに純真な笑顔に胸を打たれてしまう。こんな桃源郷を離れてシドニーなんて…と思う私は、じゃあ親の実家のある山奥の村に引っ越せと言われたらどうするのか。

17年前、ブータンの言葉ゾンカ語の教科書がまだないから授業は全部英語で、だからブータンの人たちは、赤ちゃん背負ってるお母さんも子供もみんな英語が上手に話せた。この映画だけでは、都市の学校での教育がどう変わったのかはわからなかったけど、もう行くことはないと思ってたブータンに、いつかまた行ってみたいなと思ってしまいました…。

ブータン 山の教室(字幕版)

ブータン 山の教室(字幕版)

  • シェラップ・ドルジ
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ジャック・ドゥミ監督「ロバと王女」3280本目

年を越えて「ひとりジャック・ドゥミ/アニエス・ヴァルダ特集」は続く。

この作品は「ジャック・ドゥミの少年期」で彼が作っていたロマンチックなアニメーションの実写化という感じ。内容はディズニーワールドです。ジャック・ドゥミって映画監督にならなかったら、実家の自動車工場を継ぎつつ、アニメーターになったと思う。シュヴァンクマイエルみたいに執念深くストップモーション・アニメを作り続けて、その道で不世出の巨匠みたいになったんじゃないだろうか。

デジタル・リマスター済の精細映像でカトリーヌ・ドヌーヴは妖精みたいに美しいし、ドレスの造形や彩色も素晴らしい。強いていえば夢みたいな舞台装置が、引きで撮るとちょっと寂しく感じられるので、もっと接近して(それこそジャコット少年の覗きカメラみたいに)撮ってくれたほうがドキドキしたかも?なんとなく私はそんな風にファンタジー感をもっともっと出してほしいと思ってしまうけど、フランスでは大ヒットしたらしい。少年時代や妻の思いを見てしまったので、なぜか身内みたいにドゥミ監督の成功をうれしく感じてしまうのでした。

「少年時代」で晩年の監督は、「以前は映画を監督したりしてたけど、今は絵を描いたりして過ごしてる」と言ってました。ときどきはさみこまれる、マットで色彩が印象的な絵は彼の作品なんだろうな。私のすごく好きなタイプの絵ばかりだったな…。

ロバと王女(字幕版)

ロバと王女(字幕版)

  • カトリーヌ・ドヌーヴ
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アニエス・ヴァルダ監督「ジャック・ドゥミの少年期」3279本目

ジャック・ドゥミといえば、「シェルブール」と「ロシュフォール」と「ローラ」ですよ。対するアニエス・ヴァルダは「5時から7時までのクレオ」。なんて美しい、日本の女子たちがみんな憧れる(※若干、極論)フレンチの世界を作ってきた人たち。

この映画は、エイズで余命いくばくもないとわかっている59歳のジャック・ドゥミが自伝的脚本を書き、少年時代のインスピレーションがどのように彼の名作を作り出していったかを妻があふれんばかりの愛情をもって描いた作品。彼にとっての現実を白黒、インスピレーションの瞬間をカラーで描きつつ、その後の名作映画の数秒ずつをはさみこんでいます。

このジャコット(ジャック・ドゥミのあだな)少年の世界が本当に素敵なんですよ。優しくてたおやかなお母さん、感動した人形劇、いっしょうけんめい自作したストップモーションアニメ映画、夏休みに出会った少女…。アニエスが夫自身と、彼の中に培われてきた世界全体をどれほど愛していつくしんできたか、ということが伝わってきて、その愛情の大きさに胸がいっぱいになります。

下世話に彼らの私生活をのぞき見したいわけではないけど、生前どちらからも語られなかった、彼がエイズにり患した経緯は、可能性としては、バイセクシュアリティかもしれないし、女性への関心や興味を持ち続けたからかもしれない。そんなこんな全部合わせて夫を受け入れてこの作品を作り上げたアニエス・ヴァルダはもう聖母なのだ。がんの告知を恐れて2時間街をさまよったクレオや、夫の不貞を知って身を投げたテレーゼは、若いころの不安を表現したものだったけど、晩年の彼女はここまでの境地に至っていたのです。私は生きているうちにどこまでいけるんだろう…なんてことまで考えてしまう作品なのでした。