映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジャン・リュック・ゴダール監督「男性・女性」3383本目

これは、ジャン・ピエール・レオを見出したトリュフォー監督ではなくて、宿敵(ともみなされる)ゴダール監督の作品。ゴダールの男たちの例にもれず、レオ演じるポールは、なんだか政治的なメッセージのような哲学のようなものをつぶやいています。

常に、めんどくさい男vsしっかりものの美女という構図の中に自分(をキャラクター化した役柄)を置いて、カメラを通して俯瞰している監督。彼が持つ、自分を嗤う客観性と、強烈な自意識にちょっと興味があるけど、まだまだ私にはわからないことが多い監督です。

石川慶監督「Arc アーク」3382本目

<ストーリーに触れています>

原作がとても好きなんだけど、こんなお話だったっけ?

冒頭、暗いスタジオの上階からフロアで踊るリナ(芳根京子)を見下ろすエマ(寺島しのぶ)。トランスっぽい音楽の感じもあって、ギャスパー・ノエの「CLIMAX」の冒頭部分の影響があるように感じられる。(あのダンスの場面すごく好きで何十回も見た)とても美しい場面だけど、どう捉えたらいいのか難しい。リナは素敵な女の子だけど、ダンスらしいダンスを踊るわけでもない。「プラスティネーション」(エマの会社で行っている、遺体を美しく保存する技術)とのつながりは、エマが初対面のリナに特殊な感性を発見したってことなのかな。

プラスティネーションは、遺体にメイクアップをほどこす「エンバーミング」を超えて、体を使った立体アート作品なんだな。そう考えると、どう想像して膨らませてもいい気がする。

原作者ケン・リュウがこの映画について語ったインタビューを見つけて読んだところ、「映画は原作と異なっているほうがいい」というポジティブな発言が。さすが幅広く世界を構築する作家。私も素直に、別ものとして見させていただきます。

「テロメア」は不老不死の技術。エマの弟、天音(岡田将生)はリナと恋をして、二人で人類初のテロメア施術を受ける。年を取らない二人、老いていく周囲の人々。

原作は母と娘の物語だけど、こちらは母と息子の物語だったのか…。モチーフというか断片だけしか原作と一致しないけど、本当によくこんなに膨らませたなぁ。予想してたのと全く違う作品だったけど、監督が胸いっぱいでこの作品を作り上げた思いは少し見えてきた気がします。

(この前提があれば、「カムカムエブリバディ」はヒロイン3人要らないなぁ、1人で100年の物語だぁ~!)

Arc アーク

Arc アーク

  • 芳根京子
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山田洋次監督「霧の旗」3381本目

「キネマの神様」を見たあとに、たまたま見つけた山田洋次監督の唯一のサスペンス映画を見てみる。なかなかの本格サスペンスで、寅さんシリーズの監督って気がしないけど、そういえば渥美清にも「拝啓天皇陛下様」という名作があるし、山田監督は「砂の器」の脚本を書いたりもしている。意外性が一番大きいのは、さくらを長年演じた倍賞千恵子がこの役を演じきってるところだなぁ。何があってもフーテンの兄を慕い続ける一途さは、ここでは「すべてが兄のため」と思い詰めた妹となって現れる。白い千恵子と黒い千恵子・・・

弁護士の大塚先生(滝沢修)が、ときどき「ロリータ」のジェームズ・メイスンに見える。似ているわけじゃないけど、人の好さを感じさせる笑顔を見せるとき、「ああこの人、今この瞬間、罠に落ちてる」って思って落ち着かない気持ちになってくる、その感じ。今ならこういう大物弁護士が、小娘の罠にこれほど簡単に落ちるストーリーでは説得力がないかもしれない…はめられないようにお金と知恵を駆使して、自衛手段を考えるだろう。第一、桐子(倍賞千恵子)の逆恨みに説得力はあまりない。

でも逆に今なら、まったく同じ前提でも逆恨みする桐子側に入れ込んで、悪徳弁護士にリベンジした!という筋の作品が作られてしまいそうな気もする。この作品では、桐子の一方的な攻撃を客観的に見る視点がある分、どこか冷静にも感じられます。

結局2つの事件の犯人は誰だったんだろう、という点は明確には明かされません。そういう意味でこの映画はミステリーではなくて、思いつめた一人の女性の物語なのでした。見ごたえありました。

 

霧の旗

霧の旗

  • 倍賞千恵子
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山田洋次監督「キネマの神様」3380本目

ギャンブル中毒の元助監督を、志村けんでなく沢田研二がやるのは知ってたけど、その若いころは菅田将暉なんだ。で、宮本信子の若いころが永野芽郁。でも映画監督役がリリー・フランキーとは知らなかった。俳優畑の出身でない人が、山田洋次監督作品で映画監督の役って、なんかすごい気がする。

菅田将暉が志村けんになるよりは、沢田研二になるほうが自然な気もする。(私はもはやTOKIOの頃のジュリーを期待してないから大丈夫)…いや、たまに、彼が志村けんに見えてくる瞬間があるのはなんでだろう?魂が現場をのぞきに来てたのかな・・・。

その娘は寺島しのぶ、そのまた息子はよく見たら「まえだまえだ」の前田旺志郎か。キャストはみんな熱演だけど、私でも「どこかで聞いたような」と思う脚本をちょっぴりリライトしただけで最高賞を取る設定って・・・。映画のことを長年忘れて(あるいは忘れようとして)、家族をないがしろにしてギャンブルにおぼれてきた男を最後に持ち上げすぎてるよね?それとも、ここまで落ちてしまっても映画を思い出せば天国へ行けるよというのか。

沢田研二が歌う場面があのようなただの飲み会なら、「東村山音頭」は止めて「TOKIO」でもザ・タイガースの頃のヒット曲でも歌ってもらえば良かったのに。歌手に対して失礼じゃないでしょうか・・・。やりきった沢田研二は偉いと思います。(映画での使用料をJASRACとかに支払い済でもう返してもらえなかったので、変更がきかなかったのかな・・・。)

ゴウは映画を離れたあと、何をやって生きてきたんだろう。テラシンがその後どういう人生を送ってあの映画館を作り、長年維持してきたのかも、見てみたかった。

映画を作りながら死ぬのは難しいけど、見ながら死ぬのはできそう。ただ、映画館で見ることしか「映画を見る」とは呼ばない、という人にはやっぱり難しい(というかすこし迷惑)かもしれない・・・。

キネマの神様

 

吉田恵輔 監督「空白」3379本目

気分が悪くなるような人が何人も出てくる映画だけど、既視感が強い。ワイドショーっていつもこんな感じ。みんなひどく傷ついていて、自分は悪くないって言ってほしい、ほめてほしい、という不満いっぱいで生きているから、自分より悪そうなものや自分より弱そうなものにそれをぶつける。そしてそれを正義と呼ぶ。

どんな人間にも美しい部分と醜悪な部分がある。それなのに安易な二元論で敵と味方を分けて相手をうれしそうに攻撃する、って世界が本当に苦手なんだけど、それってあまりにも世の中に蔓延していて、この映画で初めて発見することなんて何もないのでした。

外国の映画なら、周囲の人が力ずくでセラピーを受けさせたりするけど、この父親はある事件をもって自発的に落ち着きを取り戻して、そこから一気に、縫い物の表裏を返すように、良識的な大人へ変貌してきました。これもまた、私が「ファンタジー」と呼ぶ、見ている人がすっきりするためのフォーマットで作られた作品。その波に乗っかってカタルシスを感じられるようになるのが、幸せへの近道なんだろうけど。。。

本当に娘の絵を見て泣けるようになるには、精神が変わると同時に顔つきや体つきが変わるくらいの年月が必要だと思う。最後の古田新太が別人みたいな風貌で現れたら、もう少し説得力があったかも、と思いました。

空白

空白

  • 古田新太
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フロリアン・ゼレール 監督「ファーザー」3378本目

アンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマン。

私の父も認知症になってしばらく病院や施設にいたので、もうしょっぱなから「ああ~~、そうそう」。記憶と想像と思考の区別がゆるやかになっていくので、世話をしてくれている人が自分のものを盗んだとかご飯を食べさせてくれないと思い込んだり。父の好きな、役場での仕事の話をしていたら、今いる場所が事務所に思えてきたり。そんなうつろう世界の中で、小さい子みたいに戸惑う父が可愛くてたまらなかったことを思い出します。

この映画のアンソニーもずっと混乱の中にいます。お気に入りの娘ルーシーは、アートの才能があったけれど、どうやら若くして事故で失ってしまったようです。いつもそばにいてくれたもう一人の娘アンは、ずっと独身だった?夫と一緒に住んでいた?最愛の人と出会ったのでパリに行ってしまった?…もはや何が客観的な真実か、見ているほうもよくわからなくなってきますが、これはアンソニーの映画なのだから、私たちがどう感じ取ろうと彼には関係ないのかもしれません。

最後はすっかり小さくなってしまった私の父みたいに、背中を丸めて泣くアンソニーが、ただただ少しでも幸せに残りの時間を過ごしてくれたら、という気持ちになりますね。

ファーザー(吹替版)

ファーザー(吹替版)

  • アンソニー・ホプキンス
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堀貴秀 制作「JUNK HEAD」3377本目

これもずっと見たかった。「これから見る」リスト数百本の中から、最近話した人がめちゃくちゃほめてたので、これを先に見てみることにしました。

まず造形が本当に素晴らしいですね。キャラクターも、動きも、大道具・小道具も、画面構成も、音のつけ方も、うっとりするくらい美しい。ブラボー、大拍手です。

でもなぜ、途中でなんとなく気持ちが引き気味になってくるんだろう(退屈したと書いてる人も何人かいた)。…多分、キャラクター設定が、どの子もすごく「マヌケな大人」というよりただ幼くて、大人が幼児番組を見ているような状態になってしまうんじゃないだろうか?幼児番組だと思いながら見れば、けっこう楽しめるんだけど、大人の自分の今の悩みを共有したりカタルシスを与えてくれたりすることを期待してしまうと、まるで退屈になってしまう。

主人公がすぐorzの形で落ち込んだり、言い淀み「・・・」がやたら多かったりする感じが、中二というよりもっと幼く見えて、「リトル・チャロ」のチャロみたいだ。(チャロ大好きだけど)この作品は明らかにまだ続きがあるようなので、チャロがやがて飼い主を探しながら成長していったように、この主人公もこれからぐんぐん大きくなっていくことを期待してます。

ギャグで通すなら「キン・ザ・ザ」の方向へ行くか?本気で世界取るなら川村元気みたいな敏腕プロデューサーを入れて、ドラマチックな結末を作るか。いっそのこと「ガラピコぷ~」、じゃなかった(終わったんだった)「ファンターネ」の次の「おかあさんといっしょ」の人形劇として使ってもらっても私は良いと思います。馬鹿にしてないですよ!