映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジェームズ・キーチ 監督「グレン・キャンベル 音楽の奇跡 アルツハイマーと僕」3389本目

これもソフト化をずいぶん長いこと待ってました。(名前だけ知ってて楽曲は全然知らないんだけど)

私の父も2011年のお正月にアルツハイマーが発覚して(その前にも、おかしいな~と思うこともあったので、発症はもっと前だろう)、2013年に亡くなったんだけど、「だいぶ忘れる」「覚えない」以外は前のままだった。しばらく会わないうちに私が誰かわからなくなるだろうから、会いに行くたびに自分から名乗ったっけ。性格も、昔の思い出も、身に着けた知識や技能も、何も変わらない。グレン・キャンベルの場合、歌もギターも素晴らしいけど、今日やるライブとかが一番まわりの人が苦労する部分だ。奥さんも娘さんも、ミュージシャンたちも、本当によくサポートしてるなと思います。自分の家族のことを重ねて見てるわけじゃないけど、”それでも歌っている”彼を見ていると嬉しくて、それでも2017年に亡くなったと聞くと、もう完全にいなくなってしまったことが悲しくなる。

周りの人たちを明るい気持ちにしてきた人がいちばん偉い、と思う。貧しい人を助ける、とかも当然大事だし、それも偉いことだけど、その人を取り囲む人たちにどういう価値のある一生だったか?と考える。なんかしんみりするけど、50年後には私たちもたいてい彼と同じ病気になったり、ならなかったりして、どっちにしても、もうこの世にいないのだ。

これは、音楽の映画でも病気の映画でもなくて、音楽を愛した男と、彼を愛した人たち、家族とスタッフと大勢のファンたちの記録。

「大往生」を遂げるには、大きな人間でいないとなぁ、と思います。すごく良い映画でした。

 

ピーター・パーディーニ 監督「ザ・ヒストリー・オブ・シカゴ ナウ・モア・ザン・エヴァー」3388本目

公開時に見そびれた、こういうバンドもののドキュメンタリーがたくさん見られるのも、VODのいいところ。DVD化されなかったものも多くて、これもずっと「見たい」に入れたままになってました。

シカゴ好きなんですよ。洋楽を初めて聞くようになった小学生のころに、「愛ある別れ」とか「サタデー・イン・ザ・パーク」とか好きだった。にぎやかで明るいブラス・ロックなんだけど、メロディラインが優しくて、なんともいえず気持ちが高まる。私の一番好きな時代のアメリカの典型、というイメージ。アルバムは何枚か買ったけピーター・セテラとテリー・キャスくしか知らないな、しかも顔を見ても誰が誰だかわからない。音楽は今聴いてもかなりいいなぁ。ジャニス・ジョプリンやジミヘンとツアーしてたとか、「シカゴ」って名前なのに西海岸のあらゆる平和集会で演奏してたとか、彼らのことって何も知らなかった。長年大好きなバンドなのに、まるで知らない人たちのドキュメンタリーを見てるみたい。

シカゴには確かに長い曲が多い。でも、インプロビゼーションみたいなプログレみたいなセクションが終わると、なんかカラっと明るいサビの部分に戻ってくるのが、なんともほっとする。良い子の頃に聞いてた良い音楽なのだ。

それにしてもメンバーが若い。今から6年前の映画といっても、みんな70歳前後だったわけで、スパークス兄弟の現役ぶりにも驚くけど、このバンドのメンバーもすごく健康的。ドラッグなんてやらないまま来たのかと思ってたのに、「平和集会」あたりから疑わしいなと思ってたら、やっぱり”乱痴気騒ぎ”だったのか…。

それと、ピーター・セテラ中心の甘ったるい曲ばかりになった頃のことも思い出しました。確かに、私にもちょっと甘すぎると思えた時期がありました。彼も、オリジナルメンバーのドラマーもグループを追われ、それでも50年間やってきたってすごいな。なんていう生命力の強さ。日本だったらぜったいクビにしないで何か違う形で存続しようとしたんじゃないかな。(そして解散に追い込まれたりするのかもしれない)

とにかく、やっと見られて本当にうれしかった。

 

ケネス・ブラナー監督「ナイル殺人事件」3387本目

間違って別の戦争映画をレンタルしてしまったかと思った!

若き日のポワロが戦争で体験したことが、冒頭モノクロで描かれています。この作品は愛の物語だからね。去年1978年の映画化作品を見なおしたばかりなので、筋がガッツリ頭に入ってて、最初から「そうか、ロイス・チャイルズがガル・ガドット」などと、あてはめながら見ました。旧作はスター揃いだったんですよね。ベティ・デイヴィスとマギー・スミスの役は誰がやってもあれほどのインパクトにはならないし、ミア・ファローの強烈な不思議ちゃんキャラクターは、誰にも真似できない。ジェーン・バーキンみたいにクセの強いメイドなんていないだろうし、オリビア・ハッセーとレティーシャ・ライトはキャラクターが全然違うのでちょっと混乱しました。

それでもやっぱり、アガサ・クリスティの原作は、動機がすごくしっかりしてるんですよ。誰が誰を殺す、という理由付けにしっかりと人間のサガが表れる。そこが、トリックは完璧だけどまったく共感できなかったりする最近の出来のいいミステリとの違いだなぁ。

ロバート・ワイズ 監督「ウエスト・サイド物語」3386本目

やっぱり見直すでしょう、これは。

2019年作品も俯瞰から入るけど、これもそうだったんだな。1961年のニューヨーク島。

プエルトリコ系のシャーク団のメンバーは肌の色を少し浅黒く眉を濃くしてあって、黒髪。アイルランド系のジェット団は、金髪の人が多い。でも顔立ちはそれほど違いません。舞台では出自をそれほど重視せず、役柄を振り分けた後で容貌を調整してただろうから、その名残りかな。主役の二人とベルナルドが白人だけど、これは当時は普通だったんだろうな。

ダンスは新作のほうがキレッキレだけど、旧作も素敵です。

キャラクター設定や服装もかなり旧作を踏襲してるなぁ、マリアのダンスのときのドレスもほぼ同じ。全体的に、「焼き直し」と言ってもいいほど旧作どおりという印象でした。

一番の違いは、1961年版はベルナルドが際立っていてトニーは人のいい好青年ふう(ロミオとジュリエットのロミオを踏襲してる)けど、2019年版はトニーが独立心の強い主役ってところじゃないかな。

旧作のほうが反戦メッセージがストレートで強い、とも思いました。若い子たちが争って死者が出てしまう、言ってみればそれだけの映画なんだけど、とても普遍的なメッセージがあるので両方とも良い映画だなぁと思えます。

ところで、この映画に関する最初の記憶は、初めて買った「平凡」か「明星」にアイドルが最新の映画についてコメントするコーナーがあって、そこで山口百恵がこの映画をほめてたコメントがあったこと。「素敵だったのはジョージ・チャキリスの「アー・ユー・クレイジー?」って歌。もうダメ、私」と書いてたのをみょうに覚えてて、小学生の私ですら(山口百恵がもうダメ私とか言うか?別の人が書いたんじゃないの?)と思ったものでした。もはや、どうでもいいか…。

その後何度か見たし、「アメリカ」とか「トゥナイト」とかよく知ってるのに、なぜかトニー=ジョージ・チャキリスだと思い込んでました。ずいぶんシャーク団っぽいアイリッシュだなぁ、って(笑)

ところで、ナタリー・ウッドをググっていたら、わずか43歳で船から海へ落ちて亡くなってしまったのですが、その船上には夫がいて二人は口論していたと書いてあって、(まんま『アネット』じゃん)って思いました。スパークスの二人は意識してたんだろうか。。。

 

スティーブン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」3385本目

1961年の「ウエストサイド物語」は見たのがだいぶ前なので、今は比較できませんが、この作品だけに限っていうと、禁酒法時代の内部抗争を描いた一連のギャング映画の若者版という感じもします。みんな若くてまだ初々しいんだけど、違うグループに対する敵意はけっこう強烈で、人が死んでも反省するより憎しみは倍増する。間を取り持つ者に対しても容赦なく憎悪を向ける。

今スピルバーグがこれをリメイクしたのは、「民族紛争は間違っていることを思い出そう」とか「俺たちみんな他の国からアメリカに来てがんばってやってきたんじゃないか、いろいろあるけど争いはやめようぜ」っていう、何かものすごくシンプルなメッセージなのかな、と考えたりしています。中東系、アフリカ系やロシア系が出てくると今は細かいところまでチェックや突っ込みが入りそうだけど、現在、特別に敵対しているとは感じられないアイリッシュvsプエルトリカンなので、フィクションとして見やすい。

スピルバーグって俳優主義じゃないというか、あまり有名じゃない人をよく使うのは、純粋にストーリーを見せたいからなのかな。そういうわけで、アンセル・エルゴート以外は知らなかったけど、映画としてよくできていたなぁと思います。カメラワークがすごく面白いですよね、冒頭なんかも。高いところから見下ろすとなおさら、狭い小さい町の中の出来事だなーと実感したりします。

でもどうしても旧作と比較しますよね。さっそく私も、数十年ぶり?に見てみようと思います。

 

ラナ・ウォシャウスキー監督「マトリックス レザレクションズ」3384本目

とても、説明的な映画だった。後日譚を描き始めるための前提となる設定を、さまざまな人たちが口頭で詳しく説明してた。だいたいは把握できたけど、感覚じゃなくて頭で一生懸命ついていかないといけなくて、バカのように口を開けてただただ見入ってしまった最初のマトリックスが懐かしい。

長い年月を経てくたびれたネオ、という設定はいいけど、フルパワーで復活!というほどの大きな変化は、なかったかな。「シン・モーフィアス」は、理解はしたけど重厚さが物足りなくて、彼をモーフィアスと認識しながら見ていくのが難しい。(ローレンス・フィッシュバーンはアメコミのキャラみたいに個性的だったからね)

バグス(演じてるのはジェシカ・ヘンウィック、若いころのレベッカのNOKKOに似てる気がする)はとても良いですね。トリニティほどクールじゃないけど賢くて熱い。

シン・”エージェント・スミス”は悪者というより電気自動車の会社のCEOか何かのように見える。悪者に見えないことはないけど、悪意のカタマリのような(アメコミのキャラみたいに)素晴らしいヒューゴ・ウィービングとどうしても比較してしまって、薄いような、悪意が隠されていて見えないような印象です。

問題は、現実が作り物で、その上の現実だと思ったものも作り物で…というメタメタ構造には、「リング」「らせん」シリーズで少し疲れてしまって以来、素直に楽しめないことだ。マトリックスの世界はけっこう好きだったはずで、新しい映像がたくさんあるのは嬉しいんだけど、すべてに既視感(まさにデジャヴ)があったなぁ…。次作に期待してます。

以下は、印象に残ったことのメモ:

・トーキョーは「リトル・トーキョー」みたいにキッチュだった

・「Mojo rising」が「力が戻ってきた」って訳してあった。そういう意味だったのか。アメリカ人が割と使う言葉だけど、あんまりちゃんと理解できてなかった。(ネオがアンダーソンをどグワッ!と反撃した場面で)

・クジャクという名のマンタ型の飛行船

 

コラム エノキダケイコの「空中シネマ」第1回 「ナイトメア・アリー」(149分)

国際線の機内で見られる映画からおすすめ作品を紹介する「空中シネマ」。第1回はANA国際線プログラムガイド5月号の表紙にもなっている、ギレルモ・デル・トロ監督の「ナイトメア・アリー」です。

半魚人と人間の女性が恋に落ちる映画、覚えてますか?あの「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー作品賞や監督賞を獲得したデル・トロ監督の、最新の監督作品です。

タイトルを見て「悪夢のようなアリー(多分ケイト・ブランシェットの役名?)」と思った人が多いと思いますが(私のことですね)、このアリーはAlley、小道という意味で、人名ではありません。ナイトメア・アリーは「悪夢小路」。この映画の中では、道を踏み外した者たちが住む、暗く貧しい通りを指しています。

ブラッドリー・クーパーが演じる主役スタントンは、なにやら過去がありそうな、謎の男。サーカス団に転がり込むと、さまざまな知恵をめぐらして人心を操る術を得て、のしあがっていきます。ケイト・ブランシェットは引き込まれるような圧倒的な演技力で、野心的な医師リリスを演じます。スタントンがサーカスで見染めた純真な女性を演じるのは「ドラゴンタトゥーの女」以降大活躍のルーニー・マーラ。ここで「あれ?」と思った方もいるかもしれません。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラは、「キャロル」で女性どうし恋に落ちる役で、素晴らしい演技を見せてくれましたね。今回の作品では共演の場面は少ししかありませんが、それぞれの女性のスタントンに対する思いが、彼を間にして激しくぶつかり合うようで、大きな見どころになっています。

他にも、アクの強いウィレム・デフォー、ちょっと荒んだトニ・コレット、純粋さがちょっと怖いメアリー・スティンバージェン、ほどよく枯れたデヴィッド・ストラザーン、デル・トロ監督に欠かせないロン・パールマンなど、とてもいい演技を見せてくれています。

彼の作品にはいつもちょっと残酷な場面がありますが、常に妖怪、悪い人、幼い子どもなど、全ての者に対する温かいまなざしが感じられるところが好きなんですよね。デル・トロ監督は日本の映画やドラマのファンとしても知られていて、初対面の押井守を思わずハグしてしまったというエピソードもあります。だから日本人の私にも訴えかける、共通の哀愁が彼の映画にはあるのかもしれません。ちなみに、デル・トロ監督の初監督作品「クロノス」は1967年の日本の実写ドラマ「コメットさん」(主演は九重佑三子)の「わんぱく受験生」という回がモチーフになっているという話。Wikipediaに出典が記載されていないので事実かどうかわかりませんが、両方見てみた私の意見は…まあ、そうかも?と言ったところでしょうか。

今回は妖怪も半魚人も出てきませんが、華やかな場面にはっとし、人間のはかなさや愚かさにしんみりする149分間です。ぜひご覧になってみてください!