映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

デヴィッド・マメット監督「フィル・スペクター」3491本目<KINENOTE未掲載>

これも「テレビ映画」だからKINENOTEに載らないのか。希代のヒットメーカー、Wall of Soundのフィル・スペクターの映画で、アル・パチーノとヘレン・ミレンが出てるのに。

フィル・スペクター。「レット・イット・ビー」は名盤だけど「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が大げさで原曲の良さをつぶしてるとポール・マッカートニーは言ったらしい。もともと「イエスタデイ」みたいなものを目指していたとしたら、ドラマチックで演出過多かもしれない、だけど一般的にも私個人の感覚としても名曲だ。(RCサクセションの「シングルマン」がアレンジで感動的になったのに似てる気がする)「クリスマスアルバム」を愛聴してたこともあるし、ラモーンズの「エンド・オブ・センチュリー」の「ロックンロール・レイディオ」はライブでは3倍の速さで演奏されるものすごくシンプルな曲だけど、レコードでは誰もが共感して涙ぐむ名曲になった。

アル・パチーノが演じる彼は落ち着きがなくて常時うまいこと言い訳ばかりしていて、なんとなくウディ・アレンみたいだ。ものすごい才能があるのに自己肯定感が低くて、被害者意識が逆流して自分より弱いものをときに激しく痛めつける。彼らが作るものがなかったら、世界は数パーセントくらい平凡で面白みも感動もないものになるんじゃないだろうか。才能と人格を切り分けて評価したり、彼らが人を傷つけずに制作ができるようにする方法はないんだろうか。ないのかな。

こういう映画を見てしまうと、現実世界で殺人を犯して、すごくショボい写真を撮られてしまう一般の人たちにも、この上なく素晴らしい才能があって、生まれてから死ぬまで誰にも知られずに埋もれてしまうこともあるんだろうか、と思って恐ろしい気持ちになったりもする。アスファルトを突き破れずに、幼虫のまま死んでしまうセミみたいだ。

神様が、美しいものは常にキラキラ輝いて、誰が見てもわかるようにしておいてくれたらよかったのに。

今のアル・パチーノって、こういう厭らしいじいさんの演技があまりにもうまい。ヘレン・ミレン(が演じたリンダ)弁護士が欠席した裁判で結局彼が有罪になって、獄中で亡くなったという結末は、なんともすっきりしなかったな・・・。

ジョニー・ロイヤル 監督「イルミナティ 世界を操る闇の秘密結社」3490本目

フリーメイソンは”友愛会”でイルミナティはそれより悪に傾いた信条を持ってるんだっけ、くらいのイメージしかない状態で見ました。・・・どういう団体なのか、いいのか悪いのかよくわからなかったけど、かつて超こまかい階層があって古代文化をとりいれた儀式が行われていたけど、今はもう存在しないということはわかった。

階層・・・飛行機の上級会員も、私は実用的な「一番下のやつ」を取って満足したけど、毎年最上級を目指す人も多い。面倒な儀式や格式にロマンを感じる人もいるんだろう。私も多分20年前なら「わー、不思議-、面白いー」とか思ったかもしれないけど、2022年9月の今、日本とくに政治家が陥っている状況を見ていると、いたずらに神秘主義に興味をもつことの短所をもうこれ以上見たくないなぁという気もします。(じゃあこの映画見るなよ私)

そんな私がこういう映画を見たり、いろんな国に行っていろんな人に会ったりしてきたのは、「自分が知らないことがたくさんあるのはいやだ」という底なしの知識欲、好奇心の副作用のようなものだと今は思ってます。しょせん物見遊山なので、ミイラ取りがミイラにもなり切れず、どこへ行ってもコウモリにしかなれませんでしたが。

知らなくて平気、私は私の道を行きます、と言い切れる人になりたいけど、そうなったら多分もう映画を見て感想を書くこともないんだろうな。

これを読んでくださった方々、そんな日がいつか来るまで、もうしばらくお付き合いいただければと思います・・・。

 

アジョイ・ボーズ監督「ビートルズとインド」3489本目<KINENOTE未掲載>

U-NEXTに出てたので興味深く見ました。ちょうど「ビートルズ・イン・インド」という別の映画が近々日本で公開されるとのこと。「イン・インド」は2020年、こっちは2021年なのでこっちのほうが新しい。

「超越瞑想」が一気に世界的なブームになったのは、このドキュメンタリーでいうようにビートルズの影響だろうし、主宰者のスキャンダル(真偽のほどはともかく)で一気にキワモノ扱いされた後も、壺を売ったり財産を供出させるでもなく、今も生き続けているからには、瞑想としての効果はある程度認識されているのかもしれません。

瞑想、いろいろやったんですよ私。超越瞑想もやったし別の宗派?のものも。(今は何もやってない)超越瞑想は最初に10数万円というまとまった金額が必要だけど、すごく簡単で楽なのが良いです。ただ、はまるとさらに上級コースがあって、次々にお金がかかるのと(※受けなくても全く問題はない)、そこで説明される世の中や人間の仕組みの説明が、昔インドで考えられていたことそのままと思われ、今の私たちには「??」と感じられたりします。なんとなく、ちゃんとやればリラックスやストレス軽減効果はほぼ確実にあるので、後付けで理屈を説明しなくても良い、しない方がインド以外の文化のなかで育った者には受け入れやすい気がします。

近々公開される「イン・インド」は超越瞑想の実践者でありサポーターであるデヴィッド・リンチがプロデュースしてるというので、怖いもの見たさもあります。(彼の深層心理に瞑想で深く深く下りていくなんて、怖くないのかしら本人は・・・とか思ってしまうけど、底の底には静かで美しいものが流れてるのかもしれません)

こちらの作品の監督はカルカッタ生まれのインド人。自分たちが大事にしてきた哲学や音楽を否定しないでほしい、良さをわかってほしい、という気持ちが伝わってくる映画でした。

ウィリアム・フリードキン監督「恐怖の報酬」3488本目

途中まで違う映画を見ているのかと思った。アンリ・ジョルジュ・クルーソー監督のを見たときの印象が、ドライバーの募集から始まってすぐにトラックが走り出したような印象だったから。

この映画では、4人のドライバーたちが命がけで大金ゲットを狙う背景を丁寧に説明してから始まるんですね。それぞれの、割とろくでもない事情。彼らが逃げのびてきたのは、世間に顔向けできない男たちの吹き溜まりのような町。爆発事故が起こった油田の責任者がこの4人を雇うまでで、映画はちょうど半分。クルーソー監督版は、緊張して胃が痛くなりながら最後まで一緒に疾走するように見たのに、こうなると走り出すのが待ち遠しい。

ロイ・シャイダー、「オール・ザット・ジャズ」と言われてだんだん思い出した。確かに彼だ。どちらの作品でもうまいなぁ。

登場人物の描き方が、なんとなく劇画調。ざく!ブシャ!どっかーん!と、効果音がいまどき考えられないくらい大きい。音楽は、一部キース・ジャレット(!)がクレジットされてたりするけど、ヴァンゲリスかなと思う感じの、黎明期のシンセサイザー音・・・と思ったらタンジェリン・ドリームなのか!(汗まみれの場末の男たちからイメージ遠いなぁ)

しかし不正をしてるパリの銀行家がトラック運転できて、しかも、落ちかかった吊り橋を豪雨のなか運転しきるなんて、あんまりじゃないか。いろいろと、仕掛けがB級ホラーみたいで気持ちが入らないなぁ。

クルーゾー版は、いきなり走り出してどんどこ進むところが私にも衝撃だったけど、こっちはよくできたお化け屋敷みたいに仕掛けができすぎてて、いまひとつ乗り切れなかった気がします。でもロイ・シャイダーもほかの3人のドライバーもとっても良かったな。

 

フリッツ・ラング監督「リリオム」3487本目

<ネタバレあります>

(この作品はラング監督の「映画監督に著作権はない」には出てきません。)

1943年の作品。

リリオムってメリーゴーランドに乗ってる細面のブロンド嬢の名前だと思ってたら、彼女に言い寄る係員の男の名前だったのね。その男を演じてるのは、若きシャルル・ボワイエ。シドニー・ポワチエとなんとなく似てるけど違う、「ガス燈」でイングリッド・バーグマンの夫を演じた人か。そのときの写真を見ると、まるで英国紳士かなにかのようで、この映画での粗野な労働者風情とまるで違う・・・「ガス燈」のほうがよっぽど若くさえ見える。なんか、ローレンス・オリヴィエの若い頃を「嵐が丘」で見たときみたいな驚き。(比喩になってるのかどうか)

ラング監督のフランス作品って違和感あるけど、遊園地の明るくわびしい音楽、ブロンド嬢の妙に真面目で世間知らずな佇まいと、女好きなだけで愛嬌のあるリリオムが犯罪の誘惑にズルズル引き込まれる弱さ、彼を思い続けたサーカスの女の厚化粧、などに引き込まれます。

息を引き取ったばかりのリリオムに「一度も言わなかったけど、乱暴者だけどあなたを愛してた」という妻が、中村玉緒に見えた・・・・。マグリットの絵の中の人みたいな”最後の審判コンビ”が終盤に突然現れ、リリオムの魂を連れていくところで突然SF映画になります。音楽が「コメットさん」みたい。星をいっぱいつけた可愛いタイピストが打つ天国の裁判所のタイプライターが、オルゴールみたいな音でおしゃれ。

それほど悪いやつでもなく、愛する妻に「ごめん」とも言えないままだったリリオムの気持ちはちゃんと妻に伝わっていて、妻は何か美しいものを受け取っていたみたいだよ、という話。

・・・乱暴男に都合のいい話ではある(笑)。女にしてみれば、乱暴者であれ何であれ、惚れた男と添い遂げるのは幸せなことだ(死に分かれたとしても)、ってところかな。合理主義が横溢したこの世界ではなかなか、これが愛だと言っても通用しないかもしれないけどね。

リリオム(字幕版)

リリオム(字幕版)

  • シャルル・ボワイエ
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大九明子監督「私をくいとめて」3486本目

<ネタバレあります>

この映画も痛い・・・痛くて痛くて。第三者的に言うわけじゃなくて、31歳のときの、シャイだとか言っても、もう可愛いと思ってもらえなくなった年齢の自分を思い出して、いたたまれない気持ちで爆発しそうになります。

こっぱずかしい思いで自分をズタズタに傷つけながら、人は大人になっていくのだ。(ならないままだった気もする)

松岡茉優以上に綿矢りさの「私」を演じられる人がいるんだろうか?と思ってたけど、のん、素晴らしいですね。見事にわだかまってくれました。年下の営業マン林遣都もはまり役。「A」の声は中村倫也で姿は前野朋哉なのか・・・この二人がまた良すぎる。

こういう思いって、こじらせすぎずに、なんとかなだめて次に進めれば、同様の小僧、小娘たちに温かい大人になれるけど、完全に失敗してしまうと、一生世を拗ねてだんだん暗い狭い道を行ってしまうこともある。綿矢りさの作品をなるだけたくさんの人が見て、わだかまりの先輩たちの愛に気づいてくれたら、それだけで世界が少し明るくなる気がするよ・・・。そういう意味で「花束みたいな恋をした」よりこっちの方が好きだな。

 

アキ・カウリスマキ監督「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」3485本目

やっぱり可笑しい・・・

音楽雑誌か何かで初めて知ったんだと思う、彼らのことは。巨大なリーゼントのアメリカかぶれのソ連のバンド?(本当はフィンランド)という無謀なキャラクター設定が、今見ても爆笑してしまう。そしてカウリスマキ監督との出会いでもあったなぁ。シリアスな監督だなんてこのときは思わなかった。

その後友達から彼らのライブアルバム「トータル・バラライカ・ショー」のサンプル盤をもらったときは(これを一体どうしろと・・・)と思ったけど、聞いてみたらなかなか良かった。カウボーイズとソ連の合唱団が歌う「カリフォルニア・ガールズ」とか、ギャグのスケールが壮大すぎて・・・。

今みると、アメリカのどんなミュージシャンよりも日本の「横浜銀蝿」に似てるな。アメリカから太平洋を渡って日本で曲解されたロックン・ロールを、ツンドラ経由でフィンランドに持ち込んでしまうと、こうなる。

カントリーもやる・・・名前がそもそもカウボーイだしな・・・「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」もやるし、メキシカンだって結構上手に演奏する。彼らが新しい巨大な”アメ車”で草原を走る場面でなぜか「バグダッドカフェ」を思い出した。(あれもまた見てみたくなるな。)でも「ボラット」みたいな異文化遭遇映画にも似ている。実はヘルシンキ出身の「ハノイ・ロックス」のマイケル・モンローってのも、ネーミングセンスはカウボーイズと同じだ。北欧センスって謎・・・一周回ってダサ面白ダサい・・・

棺桶入りの死体の氷詰めの空輸とか、突っ込み始めたら映画を始めることすらできない。毛皮とリーゼントとサボテン、同じ絵の中に配置することさえありえない。

最初の中古車ディーラーがジム・ジャームッシュに似すぎてると思ったら、エンドクレジットにちゃんと名前が出てた。そういえば彼の作品にもこの映画は似てる。

いや本当に、やっぱり面白い作品です。台風が近づいて外に出られない今日のような日には、部屋でこういう映画を見ながらテキーラでも飲むのがおススメです!