映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

セルジオ・レオーネ 監督「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」3549本目

西部劇って苦手で、この作品も長年「見たい作品リスト」に入れておきつつ、後回しにしてきました。ふと思い立って見てみたら・・・面白いじゃないですか。なんか愉快です。この無駄な大仰さ。これってホラー映画を「サスペリア」にしてしまうイタリアのエンタメ精神を西部劇にしたもの・・・いや順番が逆だ。

イーストウッドのクール然とした面構えもいいけど、テュコ「The ugly」を演じてるイーライ・ウォラックの泥臭さ、汚れて脂ぎった顔、最高ですね。この人の出てる映画そうとう見てるのに、意識してなかった。修士号を持ってる”インテリ”だそうだけど、知性のない(という設定)荒くれ者をこんなに生き生きと演じられるってカッコいいなぁ。

テュコは生命力のかたまりで、奪ったり殺したりすることにためらいがない。野生の動物なら正しい生き方だ。聖職者になった彼の兄との対話で、テュコにも今でいう”ヤングケアラー”の少年時代があり、生き延びるために前だけを向いて生きてきたことがわかるけど、金のために仲間を作り、金のために仲間を裏切る。その報いも受ける。黒澤映画の三船敏郎も同じ町出身の荒くれ者って感じがする。今はもう世界中どこを探してもいない、愛される荒くれ者。

とつぜん、ウワッハッハとか言いながら仮面ライダーの怪人に変身しても違和感なさそうなテュコ。近所の商店街にいたら絶対売上をちょろまかしたり、若い女の子を追いかけたり、バクチにはまったりしていそうなテュコ。好きなのか嫌いなのかと聞かれると、嫌いだけどたまらなく良い、そんなテュコ。

テュコがまた見たくなって、この映画をまさかの再見してしまう日がくるかもしれません。いい出会いだったよ、テュコ。

 

アニエス・ヴァルダ監督「冬の旅」3548本目

やりきれない映画だった・・・

敬愛するアニエス・ヴァルダ監督の未見の大作ということで、やけに前向きな気分で見に行っったら、すとーんと突き落とされたような気持ち。

で、思い出したのは「ノマドランド」というより、2年前に渋谷区のバス停で起こった、女性ホームレス殴打殺人事件だ。あの事件を見聞きしていたらヴァルダ監督は被害者のそれまでの人生を知りたいと思ったんじゃないかな。テレビ局が取材をしていて、被害にあった方が若い頃に劇団に入って役者を目指していたことや、仲が良かった友達が彼女を探していたことを突き止めてた。彼女たちは誰にも頼らなかった。根城を作ろうとしなかった彼女たちに共通しているのは、強い人間不信・・・だろうか。

ニュースで過去の写真を見ても、バス停で彼女がどんな気持ちだったかは誰にもわからない。ワインで汚れて側溝で泣きべそをかいてた彼女の気持ちもわからない。それでも知りたい、と思って近づいていくのがヴァルダ監督なんだな。

人一倍、人を愛して、与え続けた人だと思う。その一方で愛の不毛を描いた。この作品をそのとき作らなければならなかったアニエス・ヴァルダ自身はどういう状態だったんだろう、どんな気持ちだったんだろう。ということが私はすごく気になるのです・・・。

フランク・マーシャル&ライアン・サファーン監督「ジャズ・フェス:ニューオーリンズ・ストーリー」3547本目<KINENOTE未掲載>

ニューオーリンズのジャズ&ヘリテイジフェスティバル、今年が50周年なのか。ジャズフェスの話をいつも聞かされてたのは、30年くらい前。周りのロック少年少女たちがローリング・ストーンズからさかのぼってメコンデルタ発の泥臭いR&Bを熱心に聞いていて、彼らの話題はプロフェッサー・ロングヘア-とかネヴィル・ブラザーズとかDr.ジョンとかだった。私は洗練されたモータウン系とかフィリー・ソウルのほうが好きだったけど、いつか私もジャズフェスに行ってみたいなとずっと思ってた。30年間思い続けてる。

その頃は映像が簡単には見られない時代で、MTVが見られるようになってからもこのフェスの映像は見たことがなかったので、すごく興味をもって見始めた。

頭をカーンと殴られた気持ち。私の知ってるミュージシャンが全然いない。大きなフェスで、私が聞かないジャズミュージシャンも多いから、というより、私が聴いてた(というより聞かされてた)レジェンドはもうあまり残ってないみたいだ。当然だ。30年前も彼らはすでに孫のいるレジェンドだった。時間ができたからといって今からのこのこ行っても、もう遅すぎる。

「セプテンバー」が始まると勝手に気持ちが上がってくるけど、モーリス・ホワイト(デカ頭!)はもういないのだ。アラン・トゥーサンもいない。

でも、ジョージ・クリントンみたいに歌舞いてる若い地元のミュージシャンの音が伝統的だったりする。アーマ・トーマス81歳は現役、アーロン・ネヴィルの声は少し枯れたけど「アメイジング・グレイス」は昔にも増して胸に来る。30年前はこの町にあまり縁がなかったブルース・スプリングスティーンがアズベリー・パークの荒廃を歌った歌はこの町の傷ついた人たちの心に沁みとおる。

行きたいところがあれば、今すぐに行け。時間ができたときに行っても、そこにまだあるとは限らない。そこの様子が変わっていても受け入れられるかもしれないけど、なくなってしまう恐れもある。

最後に本筋と関係ない話をすると、後半に登場するマルディグラのなかのビッグ・チーフたちの身に着けているクジャクの羽は、ほぼ宝塚のフィナーレなんだよな。なんでこの2つが似通ってきたのか気になる。クジャクの羽が入手困難になってきて、宝塚の羽輪がだんだん小さくなってると聞いたけど、世界的に希少な在庫をニューオーリンズと宝塚で競っているんだろうか。などと思ってしまいました。

 

キケ・マイーヨ 監督「ロスト・ボディ~消失~」3546本目

<結末とかオチとかにふれています>

おっとアメリー・ノートンが原作だ。「殺人者の健康法」を読んで以来ずっと注目してるベルギーの作家です。この原作が書かれたのはいつだろう。情報少ない・・・。でも彼女が書くなら、会話で相手をとことん追いつめる不条理劇に違いない。

映画の原題は「Perfect Enemy」、原作のタイトルは英語にすると「The Enemy's Cosmetique」らしい。英語のWikipediaにかなり詳しくあらすじが載ってるんだけど、建築家の前に現れた怪しい人物は原作では男なんだな。映画ではなまいきそうな若い女性。突然ある特定の人物の前に現れて、徐々に、徐々に、徹底的に相手を追い詰めていくのがアメリ・ノートン節。でもなぜ彼は逃げられないのか。「殺人者の健康法」は自宅に押しかけられる話なので、逃げられない気持ちもわかるけど。フライトを待っている空港も、別の意味で逃げられない場所なのかな。

見終わってみたら、アメリ・ノートン版「マルホランド・ドライブ」だった。ノートン作品ではいつも、強迫観念の権化のような加害者と被害者がすさまじい言葉のSMを繰り広げるんだけど、この作品ではその二人とも一人の男の心の中にいるんだな。脅迫者が若い女の子なのは、そのカラクリをわかりにくくする仕掛けだと思った。

彼がその妄想に襲われたきっかけは、”妻の墓”へタクシーで行って、そこから飛行機に乗らなければならないことの重圧だし、若い女がアムステルダム出身で20歳前後なのは、あのとき妊娠していた妻がそのままアムステルダムに飛んで出産していたら?という、彼の20年にわたる想像の娘だから。自分を責め、自分を擁護し、心の中ですさまじいい葛藤が起こっていても、表面的には「降ろしてくれ」と言っても飛行機の扉はもう閉まっていて、少し騒いだだけの普通の乗客だ。彼はその後も自分の罪を自分の墓まで持っていくのか、墓までの時間はすぐなのかまだ何十年もあるのか。その辺の追いつめられぶりが最後よくわからない感じだったので、なんとなく収まりがつかなかった気がします。

これ小説で読んだら、途中でやめられなかっただろうなぁ。アメリ・ノートン作品って最初の数冊しか日本語訳されてないけど(フランスの作家っていつもそうだ。ノーベル賞を取ったアニー・エルノーも同様)、その後の作品も読んでみなければと思いました。

 

犬童一心監督「名付けようのない踊り」 3545本目

これすごく見たかったやつ。田中泯のたくましく、なまめかしい佇まいがドラマの中に現れると、何をしてても投げ出して見入ってしまう。これまた大好きな元ブランキー・ジェット・シティの中村達也のドラムに載せて踊るなんて、すごい。刺激的。二人とも時代劇の刺客キャラだ。芸術なのかな、さっぱりわからないけど、わからなくてカッコいい。しびれる。大人になって長々と生きてると、わかりたくなくてもわかってしまうことが増えてつまらなくなるけど、この人たちみたいにさっぱりわからないけどすごいものが、まだまだたくさんあると思えると、がんばってもっと大人になりたいと思う。

地方の路上で、彼が何をやっても人だかりが付いてくる。踊りなのかなんなのかわからなくても、ゾロゾロ付いてくるのが可笑しい。

映画を見ながら彼のプロフィールを見ていたら、彼が主催していた「舞塾」のパフォーマンスを当時、大学のイベントで見たことに気づいた。今もよく覚えてる。全裸の男女が次々に大学の中庭に現れて、なんだかみんな歓喜しているようだった。全身で生きる喜びとか愛する喜びとか春の喜びとかを表してるみたいに、ゆっくりゆっくり歩いていった。あれが田中泯だったのか。誰が呼んだんだろう・・・トラックで学校に乗りつけたりしてた当時の学生会長かな・・・(※女子大です、バブル真っただ中の)いやらしいとか怖いとか思わなかったな。素晴らしいとか好きとかも思わなかったけど、すごい歓喜だということは伝わってきて興味深かった。とてもフラットに新しいものを観察した感じ。当時、白塗りで踊る「白虎社」の方がセンセーショナルな感じだなと思ったりしてたな。

舞踊家って神がかりにも見えて、巫女とか、八百万の神様のたぐいにも見える。天と下々の私たちの間にあって、自分の意思ではなく何かを受けて踊るもの。この映画はすごく彼に近いところから、現在の彼の中の心象風景まで掘り下げて共有しようとしてくれた感じでした。もっと彼の客観的な踊りの歴史(昔の動画とか)を見せるドキュメンタリーも見てみたい気持ちがかえって強くなってしまうけど、今の彼に近づけた感じはします。

誰かもう一本ドキュメンタリーを撮ってくれ・・・ぜひ。

 

マッシモ・ダラマーノ監督「ドリアン・グレイ 美しき肖像」 3544本目

中高生のころ、オスカー・ワイルド好きだったんですよ。ヘルムート・バーガーはイメージ通りです。(2022年の今は、彼の現在の姿を映画の中につい投影してしまうけど、そうするとさらにリアリティが増してしまって・・・)

で、この監督は誰だ。映画は冒頭からまるでTVシリーズの「ウルトラマン」で怪人が誰かを襲うときのような音楽と演出です。この映画は全体にわたって、音楽が煽情的で昔の日本の「劇画」っぽいのが気になるけど、主役の美しさをよく引き立てる映し方をしてるし、美と醜、若さと老いを描いていて、最初から最後まで目が離せませんでした。さすが、監督は撮影のプロ!

今だったら誰がドリアン・グレイかな・・・など考えを巡らせてみるのも楽しいのでした。

 

マーチン・サントフリート 監督「特捜部Q 知りすぎたマルコ」3543本目

シリーズ途中で主役のふたりが交代したことでKINENOTE上で物議をかもした作品。(まとめすぎ)

U-NEXT上これだけ別料金だし、007みたいに原作ありきなので新シリーズが始まったのかなと思った。もともと原作を読もうかなと思ったんだけど、読んでてウツウツしてきそうだなと思って映像のほうにしました。デンマークのような、行ったこともないし馴染みのない外国の物語は、映像があると情報量が飛躍的に増えるし。このシリーズはこのあと少なくとも3冊がすでに出版・邦訳されてるので、楽しみは続きそうです。

で、この作品ですが、カールとアサドの中が良くなってきた?ところの交代なので、なんとなく「二人まだ出会ったばかり」のような気持ちで見てしまいます。内容は、小児虐待とロマを取り上げた、おそらくヨーロッパ全土に共通したテーマでぐいぐい見せます。巨悪に切り込む勢いも見どころ。ただ、最後の最後がちゃんちゃん、と終わってしまった気がするので、もう一つ盛り上げてくれたらもっと良かった気がします。(飽くなき視聴者の欲望、すみません)