映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アルフォンソ・キュアロン監督「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」3678本目

この作品だけ、監督はアルフォンソ・キュアロン。なかなかの抜擢だと思いつつ、「ROMA」以降彼は何をしてるんだろう?

ワーナースタジオを思い出しながら、ハリーの家や3階建てバスを楽しんでいます。バスの車掌さんもブリティッシュ・アクセントがいいなぁ。リー・イングルビーという俳優らしいけど、あまり他の作品には出てないな~。

ハリーに悪運を見る丸いメガネの占い師の女性、あれ?と思ったらエマ・トンプソンじゃないですか。一方、ドラコ急に大人っぽくなったなぁ。

「三本の箒」のマダムはジュリー・クリスティなのか。全然若いけど20年前だからな・・・そしてシリウス・ブラックがゲイリー・オールドマン。彼のチンピラ演技はいつも惚れ惚れするな・・・。そしてティモシー・スポールいつも最高。よく実在してくれたなぁと思うほど、英国にいそうな妖怪まんまだ。怪しい新任教師のデイヴィッド・シューリスのたたずまいも良い。スネイプ先生はいつも良い。

ハーマイオニーが時間を戻しているあいだ、彼女とハリーが2組いるこの感じ、「TENET」のまんまだな。実はこれがヒントになった?

湖畔で魂を抜かれそうになったときはかなりピンチだったけど、それ以外は”いたいけな子どもたちをこんな目に!”という場面は比較的少なかった気がします。でもやっぱり面白かった。

 

ステファン・ノヴィツキ監督「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」3677本目

見損ねてた作品がU-NEXTに戻ってきたので、さっそく見てみます。

私はブラックミュージックに詳しいほうじゃないけど、若い頃の音楽好き仲間はアメリカのルーツミュージック好きが多くて、アレサは彼らの女神でした。

若くてパワフルな歌声が、まっすぐ心の真ん中に届いてくる。こんなに素晴らしい音楽を作る人たちが、自分たちと同じ神様をこんなに愛してるのに、彼らにキリスト教を教えた白人の人たちは何を理由に彼らを差別しようなんて思うんだろう。むしろ憧れて当然なのに?

これはつまり、差別する人たちの信仰心は本当は強くなくて、宗教は自分たちだけを守ってくれて、非差別人種の人たちを扱いやすくするためだけの便宜だと言ってるようなものじゃないのか?私はクリスチャンじゃないので、ここまで熱狂的な信仰にはまったくピンとこないけど、自分が同じ宗教だったら、彼らのことをないがしろにはできないと思うけどなぁ。

この芝居っけたっぷりの牧師のパフォーマンスを見ていると、ジェームズ・ブラウンが舞台から下がるときの小芝居と同じ類いだなと思う。こういうベタなのを好む人たちなんだな。この作品は多分、映画としての構成とかがない裸の演奏や歌のすばらしさをかいま見させてもらうための記録で、私たちはお邪魔してるだけの異教徒なのだ。彼らは信仰のためにそこで演奏し歌っているのであって、録画を見る50年後の私たちがどう感じようが関係ない。評価するなんておこがましい。

最も音量が大きい部分や音程が高い部分が冴えわたるシンガーはたくさんいるけど、アレサの声は一番弱い部分もぐっとくるんだな。隙がない。それと、この高揚する群衆のエネルギー。出しても出してもあとから湧いてくるエネルギー。

こういう貴重な音源と映像は、どんどん見せてほしいです。音楽を愛する人や音楽をやっている人がみんな見るといいなぁ。

 

クリス・コロンバス監督「ハリー・ポッターと秘密の部屋」3676本目

ハリポタスタジオに行った後に昔の作品を見直すシリーズ、第二弾。3人が少し大きくなりました。

ダンブルドア校長を1,2で演じたリチャード・ハリスは、若い頃はちょっとジュード・ロウ系の輪郭で、このままずっと演じられたら「ファンビ」への移行が自然だったかもしれません。

ハリーの家と叔母さん一家は、もうギャグの定番みたいで楽しい。空飛ぶ自動車はこのとき初登場か。ケネス・ブラナーはとってもインチキ感強い。(ポワロ感はまだない)キモイ妖精ドビーは、公開時期が近かった「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムと印象が混ざってる。あいつも卑屈だったもんな・・・。

謎の過去の男トム・リドルを清濁併せのんだように演じたクリスチャン・コールソン、とても魅力的なんだけど、この後はほとんど映画には出てなかったのね。

この映画ではハリーが孤軍奮闘する場面が多い。前に見たときは、こんな子どもたちが命を危険にさらして戦わなければならないのが、痛々しく見えたこともあったけど、こうやって見直すと、このあとに続編があるわけだし、無事に帰ってくると知っている分スリルがちょっと減ってるかな?

第3弾も近々見てみます。

 

クリス・コロンバス 監督「ハリー・ポッターと賢者の石」3675本目

ハリポタ熱烈ファンの教え子にくっついて、としまえん跡「スタジオツアー」に行ってきました。本物のセットの中で遊ばせてもらって、その巨大さと精巧さに感激・・・という体験。映画を見てからかなり時間がたっているので、メモリーリフレッシュするため、帰宅後に再見しました。

「スタジオツアー」で見たもののほとんどが、この作品に既に登場してるんじゃないかなー?93/4番線と列車、望みが見える鏡、長大な食堂、ホグワーツ全体の模型もあった。ハグリッドや魔物たちや先生たちの像も、魔法の森も。ハリーの家の階段下の部屋も。改めて映画を見直してみると、没入感の復習をしてるようでうっとりしますね。行く前に見るのもいいけど、存分に堪能した後に見るのも良いですよ!

この作品は、3人が幼くて可愛いし、彼らの新鮮な目を借りてホグワーツを経験できるのでワクワク感が強いです。悪い子キャラの子たちも、コメディに徹してて愉快。

改めて、原作の創造力がすごいと感じるし、それを映像へイメージしてこれだけの造形に作り上げた人たちの才能と努力を尊敬してしまいます。ほかのどの魔法もののファンタジーより徹底しているので、どこを突っ込んでも説得力がある。

続けて2作目以降も見直してみます~~!

 

三島有紀子 監督「Red」3674本目

<ネタバレあります>

評点低いっすね~。公開時はスルーしてしまったけど、女性が作った女性のための映画だと何かで見たので、KINENOTEでは少数派と思われる女性参加者として見てみて、感想を書いてみたいと思います。

冒頭すぐ、不倫相手らしき妻夫木聡とドライブをしている場面が長い。延々と続く夜のトンネル内は真っ赤な電灯だけ。女性なら誰でも若い頃とかに一度は、この人とこのあとどうなるのかなと思いながら、車でどこかへ走っていた時間があって、なんとなくそういう不安をここで思い出すかも。

いわゆる”退屈な主婦の日常”、保育園の送り迎え、家では姑と夫、間宮祥太郎に気を使いながら家事にいそしむ。しかし専業主婦である夏帆が夫に連れて行かれたのは、ファッション雑誌のロケみたいな、クラシックで高級で、”退屈なパーティ”。そこで彼女は昔の男、妻夫木聡と再会し、彼の設計事務所で仕事を再開することになる。ブランクは長いけど、意外と認められて。なんの取柄もないただの主婦の私なのに、昔つきあっていた人に無理に口説かれて・・・ってハーレクイン・ロマンスの日本版を目指したのか、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のダコタ・ジョンソンを思い出します。やたらと言い寄ってきて、身体を密着させてくる柄本佑にも気を持たせる。

主婦という立場が長いと、自己肯定感が低くなるんだろうか。(仕事を続けてても低いけどな!)自分をどこかへさらってほしい、という願望は、自力では何もできない未成年の考えることだけど、そこから成長できていない。

妻夫木聡も、王子様的で人間臭さがない。彼の部屋がまた、「Casa Brutas」に載ってるようなコンクリート打ちっぱなしの部屋で、ベッドシーンは汗のにおいがしないな。「アデル、ブルーは熱い色」で二人とも顔を真っ赤にして抱き合っていた場面の生々しさを思い出して、だいぶ違うなーと思う。ここまでは”トレンディドラマ”的なファンタジーで、この映画でも、男性優位の映画制作現場で、男性的な感覚で女性を見ているようにも思える。もうこれは「失楽園」だ。

でもその世界は終盤に向かって壊れていく。監督が一番力を込めたのが、電車が止まった大雪の夜の二人の感情の動きの描写なんだろうな。それもまた、病気で休んでいる妻夫木が新潟まで車で迎えに来るのは相当無理があるんだけど(在来線が止まっているときに高速の出入口は開いてるのか、地元のタクシーでも呼ぶより早く着いてるのってなんなの、だったらそもそも宿泊出張の必要ない場所だろ、同僚の柄本はどこへ行った、等々)、冷たくて真っ白で暗い世界に二人だけで閉じ込められるというシチュエーションに彼らをおく必要があったんだと思う。

監督の意図を汲んでか、二人は燃え上がる。自分を出さずに、クールで乾いた世界に生きてきたことを悔やむように、初めて自分の意志で生き始める。「アデル」ほどではないにしろ、ベッドシーンにも熱が加わる。やっと到着した夫と娘を置いて、今度は彼女が不倫相手の車を運転していく。行先は誰にもわからない・・・。

というのがストーリーで、最後に燃え上がる二人を描きたかったんだと考えると、これは特に女性に向けた作品というわけでもない気がする。自分を殺してクールにお行儀よく暮らしている人たちが爆発する瞬間を肯定する映画だ。その瞬間の彼らは、テルマ&ルイーズだし金子文子と朴烈(パクヨル)だし、どちらかというと恋愛より犯罪とか革命、テロとかに走る気持ちに近い気もする。そして、そういうものを取り上げた名作は、目覚めてから破滅するまでの時間を描いたものが多いように思う。

この作品の熱い部分は受け留めたと思うけど、もっと怖い「覚醒から破滅」の部分を思い切って創造してみてくれたら、もっとインパクトの残る作品になったかも・・・など妄想。その方が賛否両論もっと炎上したかもしれないけど。

Red

 

英勉監督「東京リベンジャーズ」3673本目

なるほど、こういう映画なんだ。割と面白かった。タイトルと絵ヅラから、若いやくざの抗争映画かしらと思ってた(それも合ってる)けど、”最近はやりのメタバース”や初々しい恋愛もちりばめて、若手の勢いのある俳優がたくさん熱演してることもあって、楽しく見られました。

メタバースって要はテレビゲームから来てるよな。死亡しても何度でもやり直せる。輪廻転生という仏教の観念を知らなかった他国の子どもたちも、自然とメタバースを経験していて、入りやすくなってるんだろうな。

今井美桜の演じる「ヒナタ」が母のようにひたすら包容力があり、”ダメだけど熱いオレ”を包み込んでくれるところが、ボーイズドリームなんだろうけど、女性が見ても許容範囲内です。

で、続編は前後編になっていて、後編が劇場公開されたところなのか。そっちはまぁ今はいいかな・・・。

 

ジュリアン・テンプル監督「ビギナーズ」3672本目

1986年の作品。

当時ミュージックビデオで人気だった監督が撮ったこのコマーシャルでエンタメな音楽映画を今なぜ見るかというと、デヴィッド・ボウイが出てるから、というだけじゃなくて、楽曲がすごく懐かしいから。当時映画は見てないけど、サントラを聴きまくってました。多分、田舎町にできたばかりの「貸レコード屋」でLP盤を借りてカセットに録ったやつ。映像で初めて見てみると、ガチャガチャと賑やかで入り込みにくいけど、どこか作り物っぽくて、みんな張り切っていて食いぎみにしゃべる感じとかが、80年代らしく思えて懐かしい。

楽曲はね、本当に素晴らしいんですよ。ボウイのタイトル曲「Beginners」の”ぱっぱっぱる~~”は頭から離れないし、パッツィ・ケンジットの「Having it all」もハスキーで素敵。(BBの再来と言われてたらしいけど、実際可愛い。OASISのリアムと結婚してたって今知った・・・どういう年齢差?って思ったけど5歳しか違わないのね)「Selling Out」を歌ってる渋いじいさんはスリム・ゲイラードだよね?シャーデー「Killer Blow」、彼女は華奢で優雅で、いつも最高にクール。スタイル・カウンシルの「Ever had it blue」も佳曲。「Quiet Life」も好きだったけど、あれキンクスのレイ・デイヴィスだったんだ。まだ若くて、あまり偏屈に見えない・・・私がキンクスを聴くようになったのは大学生以降だから、このときは見逃してたな。この曲って英国好きな人が好きな英国の典型みたいで、アメリカ映画なら絶対入らない一場面だな。・・・という風に、映画としての評価は低いけど、なかなかな音楽作品となっています。

この時代の楽観性って、1984年末のUKの「Do they know it's Christmas?」が典型例かな。クリスマスがいつだろうが関係ないよ、Feed the worldなんて俺たちは動物じゃないんだよ、という反発を今なら想像できるであろうミュージシャンたちも、当時は小さな町の幼い小僧たちだったんだな。そういう未熟さも含めて、目をキラキラさせて貧しい人を助けようという夢に向かっていた彼らがなんとも愛しく思えるのが、この作品なのでした。