映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

佐々木美佳 監督「タゴール・ソングス」3744本目

公開当時この映画が気になってたのでした。この作品は題材も舞台もわりと地味で新人監督の作品なので、見逃してもおかしくないけど、見つけられてよかったです。

何年か前にタゴールの詩集「ギタンジャリ」を読んだのは、瞑想に凝ってた頃にどこかで見たのかな。あまりに繊細で内省的で、感動しつつ驚いたんだけど、この人を題材に若い日本女性が映画を撮るということは、どういうことなんだろう。・・・そうか、監督は東京外大でベンガル語を専攻した、ということは、人種/民族の壁があったとしても言語の壁を越えられる人なのか。それはかなりすごいことだ。ベンガル語を話せる日本人ってあんまりいないと思う。インド映画が好きなのかな。で、学ぶなかで出会ったベンガル世界でのタゴールについて掘り下げることにしたんですね。素晴らしい着眼点だし、出会いを広げてラッキーをつかめる人だなと思います。今もインドで、バングラデシュで、東京で、老人も若者も歌い続けているタゴールの歌を、雑多なフィルムをうまく関連付けてつないでまとめています。

タゴールは詩人だけどシンガーソングライターでもあったんですね。インド音楽の音階やリズムは、どこかのんびりとして優雅なので、「一人で行け」のような厳しいメッセージだなんて想像もしなかった。映像は五感を満たし、文字や写真や音源が単体では伝えきれない情報を届けてくれるメディアです。

タゴールの悲痛な詩を読んで、ウクライナのタラス・シェフチェンコという詩人のことも思い出しました。民族を誇らしく思い、どんなに痛めつけられても愛や信仰を強くしつづけた詩人で、ウクライナの人たちの魂のよりどころのようになっているそうです。富豪で民衆から尊敬を集め続けたタゴールとは違って、自ら民族解放運動に身を投じて長年虐げられてきたそうです。でも彼らが、ある意味宗教以上に、同じ民族の相当の数の人たちの精神的支柱となっている点は同じ。昔の人だといっても、写真や肖像画が残っていて、存在感は生々しい。イエス・キリストやムハンマドやブッダは伝説だけど、タゴールやシェフチェンコは「偉人」。日本には、彼らに匹敵するどころか、人々の精神的なよりどころに少しでもなれるような偉人は、もしかしたら誰もいないかもしれません。

師匠がほれ込んだプリタ・チャタルジーの声は、確かに素晴らしい。澄み切って純粋で、何物にも汚されない、結晶みたいな歌声です。(しかしベッキーに似ている。)

私には詩のすばらしさは少しわかるけど(欧米のノーベル賞選考委員会にもよくわかったことだし)、音楽の良さはまだ全然ぴんと来ない。いつか、生きてるうちに、この音楽が心の中にひびいてくることがあったら素敵だなぁ。

この監督が次に何を撮るのかも、気になります。

タゴール・ソングス

タゴール・ソングス

  • オミテーシュ・ショルカール
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アキ・カウリスマキ監督「トータル・バラライカ・ショー」3744本目

まずタイトルがいいよね。バラライカという楽器は、ビートルズの「バック・イン・ザ・USSR」でもロシア(当時はソ連)を象徴する楽器として歌詞に使われてたっけね。このコンサート、当時友達からCDのサンプル盤をもらったので何度も聞きました。映画だったので、サントラ盤ってことか。CDには入ってない曲もけっこうあるし、何よりレッド・アーミー・コーラスの人数が。AKBシリーズかEXILEシリーズの人たちの紅白のステージのよう舞台を埋め尽くすこのボリューム感と彼らの圧倒的な声量が最高ですね。ほかのどこで聞いた男声コーラスよりも太く大きい。ロシアの大地だ、モスフィルムだ。独特なものがありますね、あの国は。

時と場所を確認すると、1993年という年は1991年にゴルバチョフがペレストロイカを成し遂げて、エリツィンが大統領の時代。まだロシアが自由に湧いて、東と西が融合していくかもしれないと思えた時代。Wikipediaによると冷戦時代も今も、彼らは東を含む海外(日本にも来た)で演奏・ダンスを披露しているらしい。普通はロシアの楽曲しかやらないから、当局としてもOKなのか。ボリショイバレエ団のようなものかな。tatuのバックコーラスをやったこともあるとかで、わりあい幅広い活動をしてます。

場所はヘルシンキだそうで。12月23のヘルシンキはほぼ凍ってると思うけど、ロシアのみなさんも寒さには強いし、モスクワあたりからなら距離もそんなに遠くない。

音楽的には、フィンランドという国は北欧メタルの聖地であって、雪の中で”ハノイ・ロックス”の”マイケル・モンロー”が轟音ロックをかなでるという、ここだけですでに変なユーモアのセンスと音楽好きの土壌が感じられる国です。

レッド・アーミーの、誰も彼もゴルバチョフみたいな体形のすごい歌手のみなさんがアメリカの歌を歌うときの発音の怪しさとか、可愛くてたまりません。ソロで歌うとき、カウボーイズと同じトサカをつけてくれた人もいましたね。

しかしいろいろ調べてるうちに、2016年に飛行機事故で、たまたまロシアに残った3人を除く64人のメンバー全員が亡くなったというショッキングな事件も知ってしまいました。(12月に事故が起こり、翌年1月にはオーディションで新メンバーが加入して2月にはコンサートを行った、というこのスピード感もなにかロシア的に思える・・・)

さすがに今は海外遠征はキャンセルとのこと。本来、音楽は国境も民族も超えられるものです。またこんなジョークを一緒にできる日が早く来るといいなぁ・・・。

トータル・バラライカ・ショー

トータル・バラライカ・ショー

  • ザ・レニングラード・カウボーイズ
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ピーター・クリフトン 監督「レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ」3743本目

何で今まで見てなかったんだろう。ハードロック世代とパンク世代のはざまで育って、同い年でもパープルツェッペリン、あるいはストーンズからブルースやジャズへと行く人たちに背を向けてパンクに走った最年長のパンク世代だと思うのですが、教養としてこの人たちのメジャーなアルバムは聴いてきたしジョン・ボーナムが亡くなったときは悲しんだのに、なんでこんな大事なものを見てなかったのか。

‥‥理由はたぶん2つ。①音楽もののドキュメンタリーは上映期間も短いし、ソフト化されても映画としてほとんどプロモーションされないので、だいたい気づかない。②見てて気づいた。そういえばこの頃のハードロック~プログレって曲が長すぎて聞いてて疲れてしまうので、あまり積極的には聴いてなかった。

一方でモヤシみたいな虚弱なガキどもが虚勢を張るのがパンク。私も若い頃はモヤシみたいにガリガリで、30分もギターソロを弾く体力はおろか、聴く気力もなかったっけ。全盛期のツェッペリンって、なんてタフだったんでしょう。

ロバート・プラントの声のハリもすごいしパフスリーブはなぜか異常に似合ってるし、ジョン・ボーナムのドラムは強くて重いのに軽やかで、イントロが始まると胸が高鳴る。ジミー・ペイジは(そんなにギターうまくないんじゃないかという話がちょいちょい出てくるけど)素晴らしく繊細でセンスがいい。なんか、琴線に触れるギターですね。懐かしいような切ないような、魔法の国の冒険へいざなわれるような、いわくいいがたいセンチメンタリズムを引き起こします。私はベースがちゃんと聞けてないほうだけど、ジョン・ポール・ジョーンズのベースリフあってのギターリフだということはわかる。ジミー・ペイジのギターは浮遊するようなので、しっかりと収める「おもり」が必要。

楽曲はだいたい予定調和を壊して、途中でどんどん変わっていく。その辺も、sense of wonderというか、ワクワク感を保たせる効果があるような気がします。

で全員とにかく体力Max。全盛期というのはこういう時間のことをいうんだ。ツェッペリンをほかのどのバンドよりも愛する人たちの気持ちが、少しだけわかったような気がします。第一印象でぴんとこなかった映画や音楽を、いい!と感じるまで何度も見てみる、聞いてみる、というのもいいもんです。

やっぱり、司馬遼太郎の長大な小説のようなプログレ~ハードロックの長い楽曲は、私にはハードルが高く見えて近づきづらいんだけど、少しだけ近づけた気がします。

ジャック・ニコルソン監督「黄昏のチャイナタウン」3743本目

「チャイナタウン」の二匹目のどじょうだそうです。どこもチャイナ出てこない・・・と待って47分経過後にやっと現れるチャイナマン、めちゃくちゃ見覚えあると思ったらやっぱりエブエブのジェームズ・ホンですね。前作「チャイナタウン」も、彼の存在と、ジャック・ニコルソンがつぶやく「チャイナタ~ウン」がなければ、全然チャイナタウンと関係ない映画ではありましたが、今作はますますチャイナともタウンとも黄昏とも全然関係なかった。

そして、ジャック・ニコルソンってロマンチストなんだな~~と感じました。ハーヴェイ・カイテルをあんなに泣かさなくてもよさそうなものを。役者としての彼は、台本の行間よりもさらにちょっぴりエモーショナルな人間みが魅力だと思うけど、監督になってしまうと、いままで抑えられていた部分がすこし過剰に思えるほど出てきたような気がします。

とはいえ私はこの80年代的な(公開は1990年らしいけど)アメリカの大人の世界を眺めているのが好きなので、この映画も嫌いじゃないのです。刑事コロンボとかも、画面全体がなんか焦げ茶色で、バーとかお酒とか美女とかが出てきて、すこし悪くてすこし暗い世界。1998年に初めて旅行したニューヨークのホテル周辺のデリカテッセンとかも、同じ焦げ茶色でシビレたなぁ。。。今はもうこんな焦げ茶色の町はないんだろうか。2013年くらいに行ったときにはもう見つけられなかったっけ。

誰かこの雰囲気のある映画をまた作ってくれないだろうか。

黄昏のチャイナタウン (字幕版)

黄昏のチャイナタウン (字幕版)

  • ジャック・ニコルソン
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鈴木清順監督「カポネ大いに泣く」3742本目

すごく不思議な、変な映画だった。萩原健一がブルースではなく浪花節をがなりたて、遊女の田中裕子(びっくりするくらい綺麗)がアメリカのドレスを身に着け、沢田研二はあやしげな興行師をやっている。場面場面のつながりが希薄だったり、ストーリーが全然追えなかったりしてすごく変なんだけど、絵がいつもとても美しいし、設定の奇妙さもまた魅力。こんな映画がつくられた時代があったわけです。

鈴木清順って大御所感が強いけど、今敏みたいなハチャメチャで美しく楽しい世界を映画で作りたい人だったのかもしれない。私はそういうの好きだな・・・。

 

ティン・プー 監督「ヴァル・キルマー 映画に人生を捧げた男」3741本目

U-NEXTに入ってたので見てみました。「トップガン・マーヴェリック」で見た彼の姿はなかなか衝撃的で、ちょっと感動した。俳優魂だなぁ、どんな状況になっても、今の自分のままカメラの前に立つのって。

この映画によると、彼には才能豊かな兄弟がいて、子どもの頃から一緒に映像を撮ったりしていたけど、わずか15歳で亡くなったとのこと。そういう痛みを携えて歩んできたハリウッド映画の世界で、彼は単純ないい男の役ではなく、一癖ある悪役(例 バットマン、アイスマン)をやることが多かったような印象です。

でも人となりは実直でまっすぐなイメージ。ハンディキャップを負って、胸の中に重苦しいものがあったとしても、お日様に向かって前に進んでいく人だな。

最近、身近な人が亡くなった。入院する少し前にその人が「死ぬときってどんな感じなんだろうな」と話してたと聞いて、そのときの気持ちをおもんばかったりしている。私はまだとりあえずすぐ死ぬ予定はないけど、だんだん目が悪くなり、耳も繊細な音が聴きとれなくなり、長時間続けて働けなくなっている。少しずつ、できることが減っていく。明日は今日より動けないかもしれない。いくら体にいいことをしても、どんどん若返るほどのパワーはもともとない身体だ。今あるものでどうやって生きていくのか・・・・そんなことを考えてしまいました。

がんばれヴァル・キルマー。

島耕二 監督「宇宙人東京に現わる」3740本目

この星型の「ヒトデに目」みたいな宇宙人キャラの可愛いこと!

宇宙船の効果音とか、小さい頃浴びるように見ていたウルトラシリーズを思い出します。だからいいの、これはチープなんじゃなくて昭和レトロなの。なんの違和感もなく見てしまえる世代ですけどね。

この宇宙人は、テッド・チャンとかの最新SFの宇宙人と違って優しいし人間的、いや地球人的だ。

楽しかった。たまに、何も考えないでこういう映画が見たくなることってあるよね。。。