映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

デヴィッド・クローネンバーグ監督「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」 3812本目

美しい映画だったなー。「美しい」にはいろいろある。清潔で夢のようだったり、端正だったり、カラフルだったり、でもこの世界はでこぼこで色んなことが不釣り合いで、みにくくて、意表を突いた美しさだ。うねうねとうごめく椅子、耳だらけの身体、額に太い線を埋め込まれたレア・セドゥの頭部、プラスチックを消化する子どもの内臓。

ストーリーに説得力は求めないな、この映画では。そもそも進化って何なんだろう。コロナ禍にワクチンの投与を受けると死ぬと思っている人たちもいるけど、打たなければ重い感染症にさいなまれるのであれば、自分の身体の機能や形が変わっていく可能性くらい受け入れてもいいんじゃないかと思う。クローネンバーグ監督も、そんなことを考えたんだろうか?プラスチックの粒子をたくさん食べて内臓に蓄積させた魚たちは、この子どもに似た状態なのか。そんな危機感を映像にしたんだとしたら、ストーリーはそれだけで十分かも。

 

紀里谷和明 監督「世界の終わりから」3811本目

見る前にいくつか感想を読んだら、監督の自己満足だ、みたいなことを書いてる人も何人かいました。そういう映画なのかーと思って見始めたら、そんな感じもあるけど、伊東蒼が代表して演じる、現代の傷つききった女の子たちに「そうじゃない、世界は君が頼りなんだ」と伝えるために作った作品なのかも、と思います。

常軌を逸したイジメや暴力で生きる力を失っている子どもが、多分たくさんいる。彼らを幸せな子どもに作り替えられる映画など、誰にも作れない。絵空事ではなく、その後の世界も厳しいものだけど、どこかに灯はないのか?と考えて、たどりついたのがここなのかも。

リアリティとか必然性がひとつもない世界観は、ファンタジーと呼ぶほかなくて、ここまで彼女中心に回るということは、彼女がこん睡状態のなかで見ている夢とかなんだろうか?と思うくらいだけど。

自分と仲間以外の人たちに対する憎しみは弱まることも癒されることもなく、憎しみによる殺人は肯定される。そこが、自己中心的な印象をぐっと強めてる。主人公の設定自体がリアルなだけに…。

 

大友克洋 監督「AKIRA」3810本目

これも「世界サブカルチャー史」で取り上げていたので、再見してみる。前回見たのは4年前で、その時はうるさく感じたようだったけど、少なくとも冒頭はとても静かだ。

ブレードランナーの影響を色濃く受けた2019年のネオ・トーキョーの盛り場は当時の香港みたいに派手だけど、荒れた校舎にはまだ偉人の銅像があり、一方で階段にはバリアフリーの手すりはない。女の子たちはREBECCA(NOKKOがいたやつね)みたいな、袖を取ったTシャツと短パンでみんな髪が黒くて短い。金持ちは株券をいっぱいスーツケースに詰め込んでいる。この映画を作った1988年って、ちょうど昭和の最後なんですよね。

鉄男の病室に入り込んでくる小さいぬいぐるみたちが、合体して巨大になる絵は、いま思うと今敏とつながってるな。(今敏のほうを、私は数年前にやっと知った)

中盤以降は、鉄男と老人のような子どもたち、軍隊や金田の莫大なエネルギーのぶつかりあいが続くようになって、これが以前感じた、この映画の「圧」なのかな。見てると巻き込まれてすごく消耗する。でもやっぱり、すごい。ちょっとクレイジーで純粋な、この頃の制作者たちをリスペクトします。これを見た世界中の少年少女たちが、今すごいものを作り続けてるんだろうな。これからも。

AKIRA

AKIRA

  • 岩田光央
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シャルロット・ゲンズブール 監督「ジェーンとシャルロット」3809本目

いきなり東京だ。これオペラシティコンサートホール?ジェーン・バーキンがそこに来て歌ったのは2013年のことらしい。それから、ホテルの部屋、焼き鳥屋の赤ちょうちん…あれ、「ロスト・イン・トランスレーション」をシャルロット・ゲンズブールも撮りたくなったのかしら。

母ジェーンと娘シャルロット、と聞くと、「なまいきシャルロット」とか思い出してしまうけど、彼女も53歳だ。最近では「ニンフォマニアック」などで、とても大人な役をたくさんやっています。母も娘も、”常識”や”規範”より自分の中から出てくる感情や感覚を大事にし、自分を信じ、人間を信じる。すごく素直で繊細な二人です。人を疑って生きても、信じて生きても、一生は一度だけ。自分の心をきれいに保つと、きっと気持ちいいんだろうな、と思います。

ジェーン・バーキン、エルメスのバーキンの由来となった、片付けられないことで世界一有名な女性。名前はまったくもってイギリス人なんだけど、彼女のことはフランスで生まれ育った人のように思っている。それくらい、フランスに受け入れられ、愛された人です。私はフランスって国はかなり苦手なので(旅行したときに嫌な思い出しかない)、あの国で愛されるのってどういう人なんだろう、と思う。若い頃のジェーンも可愛い人だったけど、おばあさんになっても、心の柔らかい、可愛い人だなぁ…可愛いと思われたいとか考えない人だから、可愛いんだな。娘も「二番目の娘どうしだから似ている」という。

母と娘は、どこか二人の時間の終わりを見据えている。娘が母と自分を撮影している今この瞬間が、一瞬であり永遠だ、ということをわかっている。胸をぎゅっとつかまれる。母が、妖精みたいな少女だったときに歌った、ささやくような歌がはかなくて、本当に美しいものは必ずいつか死ぬ、ということを思い起こさせる。

この映画撮っといてよかったね。娘から母にできる最高のことだと思う。親しくおしゃべりをして、懐かしい場所に一緒に行って、少しだけ近くなる。お互いの痛みを少しだけ知る。

なんだか、自分のことでもないのに、そういう瞬間が大切でたまらない気がして、涙腺がゆるんでしまうのは、もう年寄りだからかな…。

 

本広克行 監督「ビューティフルドリーマー」3808本目

うる星やつらのほう、オリジナルの「ビューティフル・ドリーマー」(ナカグロあり)を検索してたらこんなのもあったので、見てみました。…まんまや!監督は、どうしても「ビューティフル・ドリーマー」を実写化してみたかったのかな。セリフから何から完コピな部分、多数。

商業映画っぽくなりすぎず、アマチュア感、大学生感、青臭さが残ってるのもよかったです。ていうか藤谷理子が出てるので「ヨーロッパ企画」かとずっと思って見てました。あの子いいですよね。何やらせても普通みたいに演じてくれて。

面白かったけど、結末はさわやかに現実に戻るのね。「ヨーロッパ企画」の作品だとばかり思っていたので、SF落ちに決まってる、と、決めつけて見てたので、若干、拍子抜けしてしまった。(←自分のせい)

升毅としかめっ面のヅラ台がずーっとにらめっこしてる場面が、好きすぎる。

 

押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」3807本目

これ1984年か。バブルのまっただなか、やりたい放題やったんだな~

「世界サブカルチャー史」で押井守本人が語ってたので、見たくなりました。「うる星やつら」は昔から好きだったので、これだけ時間がたつ中で一度も見てないとは思えないけど、あんまり記憶にないな。

そういえば、ヒロインのラムちゃんはそもそも宇宙人だ。だからSF的な展開なんていくらでも考えられる。押井守、やったもの勝ち。

それにしてもラムちゃんの声が可愛い。(平野文。さすが)「夢邪気」の声は藤岡琢也か。アニメって時空を超えるから、5年前くらいの作品かなと思ってしまう(CGゼロなのも、制作上の信念だと思えば)けど、もう「チンドン屋」がわかる世代は少ないだろうな。(海外ではここ何て訳したんだろう、サンドイッチマンか?とまじめに悩んでしまった)

「責任とってね」は英語では何と訳したんだろう。ああ、これも気になってしかたない。

ストーリーは破綻しようとして破綻しているというか、この頃ってほんと、今敏とかもめくるめく空想の異世界を縦横無尽に駆け抜けていて、日本人がまじめで堅いなんて誰が言った、心の中はこんななんだ、と言いたくなる。(誰にともなく)

昔見たものや好きだったものを改めて見直すのって、ほんとにいいな。今の世界にVODがあることに感謝だ。

 

ダニー・ガルシア監督「Rolling Stone ブライアン・ジョーンズの生と死」3806本目

ドラッグで亡くなったんだとばかり思ってたけど、この時代なら陰謀もあったのかもな…。誰の?警察の?周囲の利益関係者?…大きくなりすぎた人物には、その周囲に闇が集まってくる。なんかホラー系の映画の話をしてるみたいだけど、欲や羨望にまみれて闇に飲まれてしまう人のうち誰かが、危害を加えたい気持ちを抑えられなくなった、という可能性はいろんなケースでありうると思う。

何が何でもドラッグだけが悪い、弱いところのあるスターはみんな自滅する、というわけでもないのかもしれない。これからは、ロックスター+若すぎる死=ドラッグ、という思考停止は控えるようにします。