映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督「FLEE」3933本目

アフガニスタンを逃れたゲイの若者の自分語りにアニメーションをつけた作品。アニメーション映画だけど、声が生なのでドキュメンタリーでもある。実映像じゃないことは、普遍性を高めてると思う。生々しさもすこし減るけど肉声のパワーはやっぱり感じられる。

私が卒業した女子大で、アフガニスタンから女子学生を呼んで一緒に勉強していた時期があったけど、かなり遠い昔だ。そのときは、小さい効果しかないかもしれないけど、だんだん世界は良くなっていくと思ってた。でも世界って流転して繰り返して、いいことも悪いこともサイクルから逃れるのは難しいものなんじゃないかと思うようになった。年を取りすぎてしまった。(伊坂幸太郎の「ペッパーズ・ゴースト」を読んだからかも)

私自身はもちろん、国を追われたことはないし、人付き合いが下手だけどまあまあ平和に暮らせてるけど、サイクルから飛び出すことってできるんだろうか。ちょっと、やってみたい気がしてる。

 

ピーター・グリーナウェイ監督「英国式庭園殺人事件」3932本目

タイトルが私好みだしピーター・グリーナウェイには興味があるので、この作品には過去にも何度か挑戦したのですが、集中して見ることができずにいました。でも、U-NEXTに入るたび(というかライセンスが更新されるたび)お気に入りに入れる、ああでも苦手だったやつだっけ、と気づいて外す、というサイクルを何度か繰り返してもうこれ以上同じことをせずにすみたくなったので、本腰入れて見てみます。

ブリティッシュ・イングリッシュは好きなほうで、毛を借り忘れた羊みたいな冗談めいたカツラやおおげさな衣装も、笑っていいんだったら喜んで見るけど、この作品の場合どこから笑えばいいのかわかりません。肝心の殺人とか謎とかミステリーはどこにあるのかよくわかりません。何より、お高く留まった登場人物たちが誰もかれもなんともイヤで、感情移入ができません。外国人にわかりやすい美しさをあえて全く演出せず、むだに全裸だったりして。これがギャグや皮肉ならツボが合わない。という意味で「難しい」作品でした。

 

マッテオ・ガローネ 監督「五日物語 3つの王国と3人の女」3931本目

ずっと「ごがつものがたり」だと思ってた。どうりで検索にひっかからないわけだ。(何が5日なんだろう?)

怖い童話の実写化。なかなか面白かった。完全に中世の装束なんだけど、若く美しくなりたい気持ちや、悪戯をして入れ替わったりしたい気持ちは普遍的で何の違和感もなくストーリーに入っていけます。

それにしても、鬼に嫁がされた王女の顛末はすさまじくて鳥肌ものですね。素晴らしい。王女ヴァイオレットを演じたベベ・ケイヴってなんとなく既視感があるんだけど、英語のWikipediaもコンテンツ少なく、その後の活躍の記録があまりありません。この映画ではすごくよかったけど。(フローレンス・ピューが演じてもよさそう)

まったく期待せずに見てこの充実感。おとぎ話はもともと、このくらい怖いものだと思うので、大変良いと思いました。

 

L・Q・ジョーンズ 監督「少年と犬」3930本目

画面がまるでUS版「不思議惑星キン・ザ・ザ」だ。(これは1975年あれは1986年)あっちは別の惑星という設定だったと思うけど、こっちはこれでも地球。普通の犬がずっと一緒にいるので、ディストピアものといっても、日常の続きみたいで、どこかほっとする。この犬「ベンジー」と似てるな。制作年が同じ1975年だけど、同一犬だったりして?

「少年」がドン・ジョンソンというのは驚きだけど、まだこのとき26歳で青臭い。青臭いけどどこか優しげで、その後のモテすぎて身を持ち崩す優男の運命をすでににおわせています。

ストーリーはナンセンスというか、社会批判も含めてありえない設定や成り行きで、ただただ白塗りの(ハロルド・ロイドみたいな)人々の痴態を眺めていただけだったのですが、なかなかのカルトムービーぶりでした。「何これ?」と思いながら一度最後まで見た後で、ふと、もう一度見たくてたまらなくなる。

カルトと呼ばれる作品って、必ずそういう深く残る強烈な何かがありますよね…。

見てよかったです。

少年と犬

少年と犬

  • ドン・ジョンソン
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中島哲也監督「来る」3929本目

この監督の作品は好きなのがいくつもあります。なんかテンポがいいんですよ。間合いというかキレというか。しかしこの作品は、豪華すぎるキャストが入れ替わり立ち代わり登場して、フェスのような全部盛り感もあります(妻夫木聡のキャラクターが役者の雰囲気に比べてチャラすぎたり、小松菜奈や岡田准一はそれぞれの役にはもったいない感じがあったりするけど)。テンポがいいというより、インスタ映えする豪華ディナーをコマ切れでバラバラと見せられているような感じもします。松たか子のキャラ設定はいいけど、ビジュアルがすごくテレビドラマっぽくて、これは不要。

現代的、日常的な設定のなかで、昔からの恩讐が襲ってくるというのが、最近評判のアジアン・ホラーと近いものがあって(こっちが先なんだけど)惹きつけられます。あれ?プロデュースに川村元気の名前がありますね。だからこうテンポが速くてエンタメに寄ってるのか。

大規模祈祷大会は敵の正体がまったくわからないまま大規模に執り行われます。松たか子はそこまでの大イベントを催すのにあたって、全国の祈祷師のみなさんにどういう説明をしたんだろうか。命がけなのに。これとか、以前好きでよく見てた「TRICK」みたい。

マンション一室における最終決戦は少年ジャンプとかの過激なバイオレンス漫画のようです。激しければ激しいほどよい。

しかし松たか子の演技力はすごいですね。こういう人が実在すると思わせてしまう。いい人も悪い人も怪しい人も。

全体的には、面白いんだけど、豪華俳優や監督や、この映画を懸命に作る人たちの熱意がもったいないような印象もちょっとあります。「あれ」を呼び寄せるのに鏡と刃物が苦手?だったらみんなで鏡と刃物をたくさんもって魔除けを怠らなければだれもやられないのでは?あと、どうせ殺すならさっさと対象人物だけ殺してくれよ、周りを巻き込まないで。とか、その辺が納得感のないまま進んでしまう感じもありますね。

それはそうと、オムライス食べたくなった…。

 

寺井到 監督「シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ロックと家族の絆」3928本目

吉祥寺における梅津かずおと同様、下北で鮎川一家の誰かを見かけるとその日はラッキー、と言われるほど地元に溶け込み、一生よい市民、いい仲間、憧れの人でいつづけた立派な夫婦と、美しい娘たち。

大学進学で上京して初めて行ったのが彼らの日比谷野音のライブだったんだよな。博多出身の子と友達になって、誘われて、ゴールデンウィークの前に行った。チケットはプレイガイドか何かで普通に買えた気がする。私はロック少女であると同時に、実はYMOやクラフトワークも聴きこんでいてアルファレコード勢にも興味があったので、渡りに船。そこから、1週間後くらいにまた日比谷でやった内田裕也プレゼンツライブで、まだ暴威と書いてたBOOWYやパーソンズ、いろんなバンドを見たっけ。

鮎川さんは確かに一生いつもカッコよかった。シーナは一生常にゴージャスだった。エルビス・コステロのオープニングアクトをやったとき高橋幸宏が目を付けたって言われると、サディスティックミカバンドとの共通点とか感じてしまう。(ふと、「You May Dream」が「タイムマシンにお願い」と似たコード進行だと気づく)

私は「涙のハイウェイ」が一番好きかも。(アルファに移籍する前のシングルだ)「Sweet Inspirations」も好き。でも、バンド関連の映画を見るたびに書いてるけど、その後ぜんぜん聴いてなかった。私は大人になってロックを聴かなくなったつまらない中年なのだ。

私個人と彼らの関わりなど、この映画の感想においてはそれほど重要なことじゃないのでこのくらいにしといて。甲本ヒロトが言ってた「死んだこととかどうでもいい。鮎川誠が生きたってことが大事なんだ」という言葉に共感する。(思っていても私には「死んだことはどうでもいい」と口に出す勇気はないけど)みんな死んだ死んだばかり言うけど、あのようなロックの神の子のような人が周囲や聴く者たちに与えた温かさや幸せは稀有なものだった。彼が生まれてくれてよかったのだ。感謝して合掌。

 

遠藤ミチロウ監督「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」3927本目

歌の中に「お母さん」って入れるようなやつは、結局のところいくら反発しても母のことを忘れることなどできないのだ。

がっかりだなぁ、遠藤ミチロウの音楽はあまり聞いてこなかったけど、学園祭で豚を投げるとかズボンを脱ぐとか過激な噂はさんざん聞いてたので、この映像の中のまるで宮沢賢治のようじゃないか。と感じざるを得ません。いい人になるなら最初からいい人でいろよ。

しかし彼がスターリンの遠藤ミチロウになった背景は、こんな息子を前にしてまったく動じず、堂々とした老婦人たる彼の実母にあるのかもしれない。真っ当で強いこの母に息子は決して勝てないだろうから。

この人、平成以降に生まれていたらいまごろ、大学のときにアジアに旅したあと、過激なミュージシャンになどならずに、まっすぐNPOを作って慈善事業に一生を捧げているかも。彼が旅から戻った頃の日本には、そういう選択肢はまだなかったのかもしれません。

宮沢賢治もだけど、寺山修司も思い出します。彼もまた、さまざまなものに反撥を続けた底には屈折した純粋さと深い愛があったのかな、とも思います。