タイトルだけ見て「フランシス・ハ」みたいな作品かな、面白いだろうけどもっと時間ができたら見よう…みたいな気持ちで後回しにしてました。が、「センチメンタル・バリューがとても良かったので、優先順位を上げて鑑賞。
まず訂正。「センチメンタル・バリュー」までヨアキム・トリアーはラース・フォン・トリアーの息子だと思ってたけど、Wikipediaによると”遠縁”だそうです。失礼しました。(娘たちに悪い映画ばかり見せる父親像は、ラース・フォン・トリアーっぽいなと勝手に思ってた)
この作品がヨアキム監督と主演のレナーテ・レインスヴェの最初の作品だそうで、「センチメンタル」より5年分ほど若いレナーテがなんとも可愛く魅力的で、初々しさも感じさせます。…ただ、(と条件を付けてしまうのは年齢のせいか)夢見るお年頃はすでに過ぎてるんじゃ?とも思ってしまい、身を固めることへの恐れ、マリッジブルーとも言えそうな大きな不安から逃れるようにプチ冒険と新しい出会い、新しい相手だからきらめく瞳、ときめく心…そういう流れは、自分自身が枯れておばあさんになるまでずっと、相手が誰であっても同じことの繰り返しになるんでは…。出会いと別れを繰り返す人は転職を繰り返す人にも似て、その原因は外ではなく内側にあるのでは…と。
などと思いながら見ていたら、案の定。もし自分が彼女の立場だったら、周囲の人(つまり現恋人と旧恋人)の心を思いやって、言動に注意すると思うけど、あくまでも自分に忠実な彼女に羨望のような憎しみのような感情がふつふつと沸いてきますね…。この女、最低(おっと心の声が)
でも、男はきれいな嘘をつく女より、バカ正直な女のほうが楽なのだ。(単に、異性だから、という寛容さはあるかも)
もやもやしながら、それでも最後まで見てみようと思えたのは、タイトルがすでに「わたしは最悪(原題はThe Worst Person in the Worldらしい)」だから。
結末の、大人になって一人でいる彼女を見ていると、(それが人生だよ)というような気持ちになってきます。結局いい人でいても悪い人でいても、みんなだんだん枯れていって、悪いこともいいこともできなくなっていつか死ぬんだ。彼女は自分が世界一最低な人間だということをよく認識して、そのうえで、できることを粛々とやって生きている。一生、若い頃自分が傷つけた人たちのことを痛みとして胸に刻んでいる。取り返しがつかないこともわかっている。それが彼女の人生だ。…という演技ができるのってすごい、と思う。なんかラストで、一瞬、自分の心が彼女に憑依してしまったような気持ちで涙ぐんでしまった。
ほんとにダメな女なんだと思う。完全な人間関係を構築することが、彼女にはたぶんこの先もできない。仕事では成功をおさめているようにも見えるけど、多分自分では全然そうは思ってないんじゃないだろうか。比較するのは不適切かもしれないけど、一時期ぶいぶい言わせてたけど何かにつまづいて、今はホームレスになっているおじさん、に似た哀愁を感じます。(「ブルー・ジャスミン」のケイト・ブランシェットや「トラスト・ミー」のエイドリアン・シェリー、「ワンダ」のバーバラ・ローデンも思い出した)
別の生き方を、選べる人はたぶん選ぶんだけど、彼女はこうしか生きられない。なんか似た感じの女友達がいたなぁという気がしてきた。彼女はいろいろめちゃくちゃなんだけど、自分にうそをつかないし、人の上に立とうとか自分はえらいとか思ってないし、ただ自分らしくいようと一生懸命生きている。
彼女たち彼らは、生まれたときからネジが一本足りてない性格傾向で、現代的にいうと何か病名がつくのかもしれない。周囲に迷惑もいっぱいかけるけど、はたから見るよりずっと深く傷ついてもいる。「センチメンタル・バリュー」の映画監督の父も、一本足りてない人だと思えば、自分勝手な言動もしかたなく思えて…きませんか?
でこぼこの、どこか足りない私たちがひしめいてるのが世界で、凹凸がぴったり合う人に出会えるわけでもなく、一生でこぼこをぶつけ合ってるんだろうな。
なんか妙にたくさん書いてしまった…。