映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

今村昌平監督「赤い橋の下のぬるい水」9

2001年作品。清水美砂と役所光司が主演で、カンヌ映画祭正式出品作品として話題になったあの映画です。

当時すでに私は大きな大人でしたが、”見ちゃいけないいやらしい映画”だと思ってました。実際に見てみたら、全然いやらしくなかった。性を笑える大人のための映画でした。

同監督の「復讐するは我にあり」で印象に残ったシーンがあります。主人公が女性を絞殺した後、失禁のあとを布でぬぐう。そのあと死体の脇に手を入れて引きずっていくと、跡が濡れて残る…というシーン。女性と水があるところにエロスが生じるという感覚を監督は持ってるんだろうか。「赤い橋の下のぬるい水」はこのシーンに起源があるのかしら、と勝手に思ってみたい。

女が噴出した水は樋を伝って川に流れ込みます。その流れ込むあたりに魚や鳥が一斉に集まってきます。同じ土地で昔、カドミウムの入った水をたれ流した工場があって、そこで育った魚を食べた人はイタイイタイイ病になった・・・という設定があって、女、水、エロスに「生」というイメージも追加されます。。

「復讐…」で三国連太郎と禁断の濡れ場を演じた倍賞美津子が、この映画ではかなり年齢のサバをよんでボケの始まった老婆を演じているのが、すごく愉快なんだけど、たぶん「昔は相当エロかった老婆」という役回りなのかなと思います。

どこかおかしみがある、ってのはこの映画全体をずっと流れているトーンです。
20年前の同じ監督の映画で怖く感じた人間ってものが、同じことを演じているのにこっちではおかしく思えるようになるのです。

清水美砂の、声がいいですね。からりと屈託がない。いくら水を噴き上げても、ひとつもウェットなところがない。貞操とか常識とかを守ろうという屈託も感じさせない。表情までわかるような近接ショットは実は少ないので、この映画での彼女の魅力は主に声だと思います。役所広司はどこで何を演じても本当にいそうに見える俳優ですが、この映画でもいいです。乾いているように見えて中が燃えている中年男、そのものに見えます。

ただ、なんとなくおなかいっぱいにはならない映画でした。満腹度でいうと「復讐するは我にあり」が焼肉食べ放題だとすると、こっちは喫茶店のランチセットくらいです。その流れでまた次の映画を借りることにします。以上。