映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

新藤兼人監督「裸の十九才」19

1970年公開作品。19才で殺人を犯して死刑囚となり、刑務所の中で独学してたくさんの書物を残した永山則夫の実話をモデルにした映画です。まったく罪のない人たちを殺めることに同情の余地はありませんが、この殺人犯の生きてきた道は見ていてとてもつらく、犯罪にまで追い込まれたことが彼の人間らしさなのではないかとも思えて来ます。

連続殺人犯を真正面から取り上げて、生い立ちから捕まるまでを描いたという意味では、ついこの間見た「復讐するは我にあり」と比較するのが普通かもしれないけど、私の頭に浮かんだのは秋葉原で起こった大量殺傷事件のことでした。

この映画では、極貧の家庭から中卒で集団就職のために上京した青年が、居場所を見つけられず、たまたま盗みに入った外国人住居で手に入れた拳銃で、次々に行きずりの人たちを殺していきます。その貧しさや都会での疎外感はこの時代特有のものに見えるかもしれないけど、私の目には秋葉原の男の子たちとそっくりに見えます。…むしろ、直接の人間関係が昔よりもうすく、ネット上の文字としてしか存在できない今の子たちの孤独は深いようにも思えます。だってこの映画の主人公は女にもてるんだもん。リア充をねたむガキのほうが哀れなくらいです。

給料のいい会社に入れなかったりリストラされたりする理由は、貧しいからでも親が飲んだくれだからでもなく、自分の成績や性格や体力や根気や、とにかく自分自身が原因に他なりません。今の世の中は、全部自分で背負うしかない逃げ場のない世界です。その中で、信じられないようなひどい目にあっても世間的に成功する人もいるし、世間的に成功しても不幸な人もいます。

不運や不幸を何かや誰かのせいにしたり、腹いせに人を傷つけたり、人と自分を比べてひがんだりは、できるだけしたくないです。しちゃうこともあるけど。短い一生のうちに、自分で自分の面倒をみて、すこしでも幸せにしてやるしかないから。…本当に落ちていくかどうかは、そういうふうに考えるかどうかっていうことだと思います。落ちないようにするより落ちていくほうが究極的にその人にとって快いということなんだろうから、それがその人の選択なのでしょう。

なんとなくだけど…本当に愛されたり祝福されたりしたことが皆無な人の感情は、この映画の主人公のように人間的に揺れたりしないと思う。末っ子として可愛がられたり、マラソンで1位になったりした過去の成功体験があるから、もっと与えられるべきだっていう気持ちで焦がれるんじゃないかな?

この映画をみてると、自分がこの映画の中のどこかにいるように、こわいくらい身近にも思えます。ゴーゴークラブの片隅じゃなくてTVのこっち側にいるのは、ほんの偶然。先週の今頃はあっち側にいたかもしれない。さいわいもう私はそれほど若くないけど、それでも平穏な老後はもうちょっと先だなぁ・・・。以上。