映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

新藤兼人監督「午後の遺言状」22

1995年作品。
新藤兼人・私の十本」が、これで完結しました。
時系列でいうと「一枚のハガキ」が最後なんだけど、この作品を最後にして本当によかった。面白かった!完結した!という達成感と充実感があります。
老人をテーマにした映画や本はいくつか見たり読んだりしたけど、この映画は本当に年をとることにうしろめたさがなく、実にすがすがしいです。

老いた大女優が別荘に毎年恒例の避暑にやってくる。管理人もまた老女。そこに、女優が若いころに一緒にチェーホフを演じた昔の女優仲間が、夫と訪ねてくる。といっても本人は痴呆が進んでいて、夫がかいがいしく面倒をみている。…その中で、人が死んだり昔の浮気が明るみに出たりと、これが20代だったら大変な騒ぎになりそうな事件が次々に起こるのですが、もうどうやったって近いうちにお迎えが来るという境地にあれば、何もかもがほほえましく、現実が寓話めいています。

痴呆症の進んだ老女を演じる朝霧鏡子が大変かわいらしいです。まるで少女のよう。40年間夫に尽くして、最後は夫に面倒を見てもらえるなんて、とても幸せなひとです。
杉村春子は女優然としているし、乙羽信子(これが遺作)にも暗さの陰などなにもなく、いつものように田舎のオバチャンになりきっています。

老人文学といえば私のFavoriteの村田喜代子さんですが、彼女の筆のほうが湿ってます。達観したようすを描こうとしても、なんとなくどこか暗い。でもこの映画は「あー見てよかった!私もこんなババアになろう!」と思えます。

印象に残るのは、痴呆症の妻、朝霧鏡子のかわいらしさと、別荘管理人、乙羽信子のマイペースさです。「主役」にならない人の確かなその人らしさ、というのが、生きるってことなんだな〜、と。男性監督だから愛情をもって描ける、縁の下の女性たちの素晴らしさ、でしょうか。

観世栄夫に練習をつけてるときの朝霧鏡子の「あか〜ん!」
杉村春子に「あんたは水ばっかり飲ませるのね」と言われて「あんたが水が飲みたいっていっただ」とオレンジジュースを取りに戻る乙羽信子

2回しっかり見ると、エピソードのそれぞれがしっかり重なり合っているのが見えてきてまた味わい深いです。行進曲ふうのエンディングテーマの意味とかも・・・。この映画とてもいいのでDVD買おうかしら・・・。

さて。こんどは結局つごう11本作品につきあった新藤兼人監督についての本を頭から読みなおしてみて、俯瞰めいたことをしてみたいと思います。以上。