映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

和田誠監督「麻雀放浪記」35

今日の一言
”そうかチンチロリンってのは、サイコロが転がって出す音のことだったんだなぁ。”

1984年作品。25年も前なんだ!
西原理恵子の「まあじゃんほうろうき」の元ネタとなったことで知られている、阿佐田哲也の小説の映画化。(ほんとか)

真田広之演じる、中学(今の高校)を中退した”坊や哲”が、”ドサ健”(加賀丈史)、”出目徳”(高品格)といった筋金入りのバクチ打ちに出会いながら、賭博の世界に深く入り込んでいきます。

さいてーな男たちのさいこーに面白い映画でした。
男ってのはどうしてこう、仲間内で金を奪いあうのに夢中になったりするんでしょうね。私はいままで麻雀を覚える機会がなくて「上海」をやるにもパイの区別がつかなくて苦労するフヌケであり、「俺、強いよ。」って言えたらどんなにカッコいいだろう、とむかしはよく思いました。麻雀強くなるのと賭けごとにはまるのは別って気もするけど。

ズルをやって勝つのも才能なのかな。手品で人をあっと言わせるようなものかな。ビジネスやってても勝ちぬける人と負けてだまされたと思う人がいるけど、麻雀で負け慣れてる人なら、ひがんだりしないですぐ立ち直れるのかな。

そして映画につきものなのが、悪い男に執着する女。
大竹しのぶが、加賀丈史(パリッパリに乗って打ちまくってるのに、意地を出したばっかりに負け始めて、あっという間に落ちぶれていく)に売られる女を清純っぽく演じていますが、見ている人はみんな、この女こそ一番しぶといと気づいています。彼女は男に執着しているけど、「あんたが私に惚れてるからよ」と、自分の気持ちさえ相手にしょわせようとします。私は圧迫感のあるシモベより、「乾いた花」の加賀まりこの方になりたいなぁ。誰かじゃなくて自分のために、自分で行動したい。

冒頭で、”上州虎”と呼ばれる名古屋章真田広之に強盗を働こうとして「あれ、トラさんでしょ?」と気づかれてしまうところが最高におかしい。一見地味な画面だけど、ここでぐっと見る人を引き付けてるんですね。

勝負が終わって夜明けに外に出たときの気分って、自由なんだろうなぁ。と、自分が4人目の客にでもなったような気持ちでいるうちに、映画は終わります。

映画のなかでは、人はな〜んでもできます。連続殺人犯にもなれるし、バクチ打ちにもなれるし、極道の女にもなれる。非合法とかアンモラルとか言われずにまるっきりの自由を満喫できる場所ってすごく大切な気がします。

今日の二言目”徹マンって「ゲーム合宿」みたいなもんかな。”(謎)

以上。