映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

成瀬巳喜男監督「流れる」40

1957年作品。
山田五十鈴演じる小さな芸者置屋の主人のところに、田中絹代演じる中年の女中が雇われてきます。イジワルもあるし、裏表もあるし、ごまかしやねたみもある女の世界です。芸は確かだけど商売はうまくない。好きな男に入れ込んでだまされ、好きでない男にはつきまとわれる。

老若、プロとしろうと、の女の世界がていねいに、正直に、描かれた映画です。
ここで純粋無垢で善良なのは田中絹代だけ。

みんなそれなりにしっかり生きてるようなんだけど、計算のできる料亭の女将とかと比べると、「流れて」いくだけ、なのかもしれません。世相を映すのが映画ですが、この映画は極力狭い町内のこの家の周辺だけを描こうとしているようで、その中で展開する濃い人間関係が、置屋という特殊な世界にもかかわらず「人間ってこうだよね」という普遍性につながっているようです。

…結局女は男次第ってことなんでしょうか?
男の監督が女の世界を描きたがるってのは、どういう気持ちなんだろう?男としての後ろめたさみたいなものがあるのかな…。当時は今よりも女性の立場が弱かったと思うので。

最後に山田五十鈴が三味線をつまびいて歌うのがあまりに素晴らしいです。さすがです。芸事の世界の華やかさがあります。田中絹代って小づくりで目が輝いているので、市井の人々の役が合うのですね。高峰秀子は可愛らしくてプライドの高い堅気の女性を演じるのにぴったり。中北千枝子は「素晴らしき日曜日」から9歳年を重ねていて、すっかり大人になっています。

映画の中で猫のポン子の首ねっこをつまんでひょい、ひょい、とみんなが放り投げるのを見て、うちのみーたんで同じようにやってみようとしたところ、太りすぎて1センチも上がりませんでした。子猫のうちにやってみればよかった…  以上。