映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

北野武監督「あの夏、いちばん静かな海」66

1991年作品。
90年代といっても、80年代バブルの名残のくりくりソバージュと太眉、巨大なイヤリングなどがさびしく健在。飽食に疲れたバブルの民が求めたせつないファンタジーというかんじの映画です。

聴覚障害者どうしの恋愛なのに、実際に町で見かける人たちのような、手話で盛大におしゃべりするシーンがなく、ひたすら沈黙しています。リアリティじゃないってことでしょうね、監督が求めたのは。

問題は主役の二人のキャスティング?
真木蔵人はサーフィンを始める前から、明らかに身体を完成させている本物のアスリートだし、大島弘子は地方出身で短大に通っているオシャレ大好き少女にしか見えません。
真木に対してもっと野性的な、もうすこし不幸な雰囲気のある女の子をあてれば、もう少し実感できたかも。
大島に対してもっと頼りない、荒んだ雰囲気のある男の子をあてれば(以下同じ)
この主役の二人の間に、ことばにならない愛とか絆とかがあったということが、ひとつも実感できないのです。
マンガかアニメにしたほうがよかった。実写で作るのに実在しない人たちを並べるのって、なんか変だ・・・。
この映画が興行的に成功する理由は、ファンタジーへの郷愁を強く起こさせるからだと思うけど、それはこの映画の完成度と直結してるわけじゃない、と感じます。監督に、これが「実験」でなく「自分にとって一生に1つだけの映画だ」という覚悟があったと思えないのです。すこしだけ、ろうあの人たちに失礼な感じもします。彼ら彼女たちはろうあであるという以外はそうでない人たちと同じであって、せつなさを演出するために身体の不便さを利用するのは安易だと感じます。

1991年以降のわたしたちが心の中に持っていた、なにか本当のものへの憧れを描こうとして、それを掴むことに成功した作品でした。黒澤明の作品にもよく感じるけど、マスで当たる作品ってそういう「ツボ」を突いてるってことなんだなぁ。・・・以上。