映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

内田吐夢 監督「飢餓海峡」77

1965年作品。

この年に公開された作品が続きますね。
「いそしぎ」の1965年はベトナム戦争まっただなか、芸術家コミューンの自由な考えと牧師というお堅い世界の代表が一瞬クロスして、また離れていくという動きが、不倫ストーリーの裏にありました。「赤ひげ」は時代劇なのであまり時代背景を映していないのかもしれませんが、戦後に通じる貧しさがたぶん当時の観客の思い出を刺激したんじゃないかと思います。
飢餓海峡」の映画の1965年は、戦後のどさくさの中で得たお金を元に、高度成長期の時流に乗って成り上がった人の過去を振り返る時代です。映画って他の国の映画と並べてみたり、同じ時代の音楽や流行と照らし合わせて見るとほんと面白いですね。

成り上がりの三國連太郎が、それでも本物の悪人には見えないところがぐっときます。
伴淳三郎高倉健という二人の刑事のキャラクターの違い(前者は見たとおりの人情派、後者は融通の利かない頑固派)もぴったり。情念深くしつこい娼婦を演じた左幸子は、この映画でも芝居しすぎてる気がします…。こんな女ほんとにいたらやだ。と男の人なら思うに違いない。

過去を隠すために成功者が犯す口封じの殺人、というドラマはしょっちゅうある(土曜ワイド劇場ではとくに使いまわされてるような)けど、見るたびに思い出すのは「砂の器」。加藤豪の美しい目元を見てるとなんだか胸が締め付けられる…という感じが脳裏に焼きついています。大昔になんとなくテレビで見ただけですが。

面白かったし、心に残ると思うけど、左幸子がおばけごっこ?をする場面の演技や、高倉健が被疑者を疑う演技は、この映画ではちょっとしっくりなじんでいないような気もします。なんでだろう。ちょっとリアルな感じがしないのかな?

この映画も180分の長尺ですが、劇場公開時にはもっと縮められたそうです。切った部分がおばけごっこなら、私はプロデューサーに同意だな…なんて生意気言ってすみません。

ではまた。