映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

篠田正浩監督「鑓の権三」84

1986年作品。

近松門左衛門浄瑠璃『鑓の権三重帷子』の映画化です。テーマは「不義密通の濡れ衣を着せられた美青年と人妻の道行」。

歌舞伎というものを見に行ったことがほんの数回あるのですが、行くたびに人の、特に女性の命の軽さやお家というものの重さがなんともやりきれないのでした。

この映画のストーリー展開も不条理きわまります。
イケメンで鑓の名手の権三は、出世のために秘伝を手に入れたいとはいっても、そのために会ったこともない娘と結婚する約束などするものだろうか。
それより不可思議なのが、秘伝を握った人妻おさゐの行動。いま見ると、ヨン様のように若い男にくるってしまった中年女性のようなイメージではあります。これはやはり、濡れ衣と呼ぶより、彼女のはかりごとに権三がはめられたととらえるべきなのでしょうか。だって夫の留守に部屋に引き込んで・・・。不義密通がそのまま死につながると知っていてそんな誤解を招くこと、ふつうならしないでしょう・・・いや、はかりごとではなく、意図せず熱い気持ちを抑えられなくなってしまったのかもしれません。
「夫を男にするために、わたしを女房と呼んでくださいまし、権三さま」ってもう、理屈の通用しない世界です。

昔から一般大衆は不幸な恋愛話を求めていたのかもしれないけど、この物語で得られるカタルシスっていったい何なんだろう?

おさゐに自分を映した女性たちが、アイドルと結ばれることを夢見たのでしょうか?

その人のためなら死んでもいいと恋焦がれる人のいる人妻なら、結ばれることが死を意味していても、堕ちていくことを思い浮かべてうっとりすることはあるかもしれません。不義密通など、武家の女ならまずしないし、そういうしきたりのない町の娘たちなら、不幸な彼らの身の上に涙したのかもしれません。・・・人間ってイヤなもんですねぇ。

というわけで、先を急ぎます。以上。