映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

オーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」100

記念すべき100本目は、名高い名作。
1941年公開という旧作ですが、隙のない構成、台本、画面構成等で、技術の未成熟による完成度の低さがまったくありません。だいいち、弱冠30代のはずのオーソン・ウェルズをはじめとした役者さんたちの、老年期のメイクや演技はまるで老人そのもの。どうすればこんなに自然な演技ができたんでしょう?

ストーリー:貧しい家に生まれ、たまたま巨万の富を得たケーンは、両親のもとを離れて一流の教育を受け、メディア王へとのし上がる。しかし、すべてを得たように見えた彼が金を使って得ようとしたものは、愛。注目。そのいずれも手にすることができずに、彼は・・・。

ということで、彼は「市民」ケーンというより「メディア王」、「孤独な億万長者」ケーンなのです。市民という肩書?は選挙に出たときに使っただけで、これは皮肉なタイトルとしてつけられたものなのでしょう。

他人を攻撃することで注目を集めようとする人の内面は、どんどん薄く寂しくなっていくもんだなぁ。みんな愛されたいだけなのに、うまくいかないもんだ・・・。

Wikipediaのこの映画のページを、大部分を映像技術が占めているくらいで、全体としての映画のカット割りは、目を見張るほど確かに鋭くカッコいい。TVゲームと同じで、この後さらにカラーやCG、3Dと技術がどんどこ発展していっても、「面白さ」はもうそれほど変わらないのかもしれません。

映像技術に特に興味のある人以外は、そんなこと気にせずに心のままに見るだけで、胸にひびいてくるので、ご安心を。

以上。