映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

新藤兼人監督「藪の中の黒猫」206本目

1968年作品。

冒頭で、藪の中の家に住む女と娘(息子の嫁)が侍の一団に襲われて、家に火を放たれます。
その後、その周辺に侍を引きこむ妖怪が出るという評判が立ちます。その家の息子が立派になって戻ってきて、妖怪征伐を命じられる。

同監督の「鬼婆」のアナザーストーリーのような作品でした。
概要だけみると、「きっと妖怪になった母子が息子を襲ってしまって、ああっなんとあなたは息子ではないか、と嗚咽して終わるのだろう」と思ってしまいますが、そうじゃなくて、お互いを妖怪vs立派な侍になった息子と認め合った後、どうする?という物語です。侍と母は懊悩し、激しくぶつかり合います。妖怪vs侍。母vs息子。どうなる?どうなる?・・・・さすがストーリーテラー新藤監督、がっかりさせません。

母を乙羽信子、息子の嫁を太地喜和子、息子を中村吉右衛門。(このときも今も吉右衛門さん、名前変わってません。)女性二人はすぐわかったけど、吉右衛門さんは初々しくてすぐにはわかりませんでした。このときまだ24歳!最初の汚れた姿では原田泰三かと思い、きれいに身支度した姿は藤井隆のようです。いい意味で一目で主役とわかる目力。若々しく凛々しいたたずまい。

娘が侍と契っている間、母は能面のような顔をして舞います。この映画でも観世栄男が監修という形で関わっていて、監督の「異形の者」のイメージと能の中の妖怪のイメージがかなりリンクしていることがわかります。じっさい、クールで静寂な能の世界って現実から遠くて、普段とは違う異様な世界で、効果を上げていると思います。

ところで、猫最後どうなったんだろう。。。
以上。