映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」249本目

1977年のロシア映画

ヨーロッパ映画は難解だ。・・・なんて決めつけるようなことを言いたくなってしまう。
この映画の基本は、「ソラリスという惑星では、星を覆う海が意識をもっていて、人の記憶の一部を物質化する。ある心理学者がそこで、死んだはずの妻に出会う」らしいけど、そのくらいのあらすじは知った上で見たほうがいいかもしれません。かつ、160分もある大作なので、用事のない休日の午後にでも、ゆっくり見始めるべし。

私も他の人たちと同じように「2001年宇宙の旅(1968年)」を思い出しながら見ました。違うのは独特のきれいな青い色合い。海がやけにとろっとしたエメラルドグリーン、再生された妻が寝るベッドのシーツもどこかの病院の制服かなにかのような濃いめのブルー。長い髪みたいな水草の色。藍をとる原料みたいな色の草原。。。何が違うとこういうモノの色まで違ってくるんだろう。ヨーロッパなんて行ったことあるよ・・という人にも、この映画のロシアンブルーは違うものに見えるのではないかと思います。

この重苦しい人間と人間の関係はなんなんでしょうね。
全体的にがっしりとしたハリーという女性の実在感、重量感。北欧家具のように美しくて安定しています。その安定感と裏腹な彼女の精神の不安定さが、「不安定が居座る」居心地の悪さを創造します。

この映画全体の長さ、沈黙の長さや時間の流れの遅さは、なんとも慣れなくて微妙に不快なんだけど、とことん付き合うつもりで見た方がいい映画です。

日本のマンガとかにはよくあるけど、設定をSFにしないと描けない世界ってのがあって、この映画もそういう作品の一つなんでしょう。

この映画の「難解さ」は監督の「自分勝手」によるものという感じで、それは「ストーリーに無理があるとか破たんしている」ことや「作りが甘い、行きとどいていない」ことと違って、悪いことではないです。とことん自分の中の妄想の世界を映像化することが、映画の制作なのだと思います。

名作というより、マニアックな怪作なのかもしれません。でも一度見たら忘れられず、ずーっとその後の映画を見るときの尺度のひとつになる作品です。