映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

小津安二郎「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」367本目

1932年作品。

音楽もあんまりついていない、完全サイレント映画

「田舎はいいなあ」と彼らがいうのは、蒲田あたり。汽車の走る線路のまわりは野原で、まわりに何もありません。汚れたひざ小僧をした少年たちが、元気にたくましく暮らしています。
中でも「突貫小僧」こと青木富夫くんが、悪ガキ然としていて可愛い!
画像検索なんかしてみると、ずーっとこの顔のまま長い役者人生を送ったようで、うれしくなります。

しかし映画のテーマは、「子どもと違って、サラリーマンの親たちには会社の序列があって、大人の事情ってやつもあるんだよ」ということを子どもたちが知ってしまい、受け入れるしかないというお話。

兄弟が他の子たちと遊ぶときに、念仏みたいなポーズをとると相手が横たわって死んだふり、自分はそのあとアーメン、ってのは、何なのかな?当時のヒーローの必殺技でしょうか。

兄弟のお父さん、背が高すぎてしょっちゅう画面から頭の上のほうが切れます。家ではちょー厳しいのに、会社ではギャグをかましたりしてる父親。家でもお茶目にしてればいいのに、この時代にはそれはなかったんでしょうか。

こういう完全無音の映画をみると、台詞がまったくなくても動きや表情だけで感情がすべてわかるし、ストーリーが追えます。小津監督は、こういう世界に長くいたから、トーキーの時代が来ても、台詞に頼らない演出をしたのかもしれません。

優しく清楚なお母さんがすてき。まだ若いんでしょうね(調べたら31歳でした)、いつも割烹着姿で、眼鏡にひっつめ髪だけど。あ、監督も当時まだ28歳だったんですって!子どもたちがあまりにリアルなのは、まだ監督自身が自分に近い存在と感じられたからかも?

子どもたちの素敵さにほのぼのとしました。