映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

イングマール・ベルイマン監督「処女の泉」393本目

北欧の昔話を映画化したものらしいけど、日本の地方民話に置き換えても完全に成立しそうです。
ベースが民話だからか、起承転結がはっきりしていて、わかりやすい。今までに見た「沈黙」と「野いちご」はもっとずっと難解。順番としては、この映画から見るべきだったかも。素直に名作だと思える作品でした。

でもストーリーをシンプルにしようという意図は監督になく、人間の罪深さをじっくり描こうとしたのだと思います。

タイトルとおおまかな筋は知っていたので、何不自由ない幸せな家庭の優等生的な娘の映画だと思ってたら、最初から、汚れた顔をした”身重の召使い”がそこにいて、幸せと不幸が対照的です。何かが起こる構図。何か悪いことが幸せな娘に起こる予感。

娘は教会に行く日に寝坊するような、ちょっとふまじめな娘。召使いはいい気になっている彼女をねたんで、呪いをかけます。

事件を起こすのは呪われた3人組。彼らは貧しく卑しいけど、いちばん年下の少年は出来事に耐えられず、食べたものをもどしたりしてしまいます。(この少年が具合が悪くて寝ているときに、人間の罪深さを説くのは誰?)

父はこの犯罪者たちに復讐しますが、少年にだけは心を痛め、復讐が終わったときに我に返って神に懺悔します。

夕餉のときに、みんなで神様に祈って、悪いものにとりつかれないようにお願いしたのに…。
皆が自分の心のなかの罪を告白します。娘のなきがらを父が抱き上げると、そこに泉が湧き、召使いがその水で顔を洗うと、罪が赦されたかのように顔が輝きます。そこに賛美歌のような音楽が流れて、そこはもう教会ってかんじ。…そこだけ、急にキレイキレイしていて鼻白むのは、制作側の意図とかで無理にそういうエンディングにさせられたからだ、とか?

ところで、悪い兄弟が乙女の気を引くのに使う”楽器”が、アイヌムックリと同じ音だ。シベリア経由で日本まで伝わったんだろうか?
(DVDは絶版のようなので、リンクなし。)