映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ラウル・ルイス監督「ミステリーズ 運命のリスボン」455本目

「人生は複雑だ」(by アルベルト・デ・マガリャンエス)

19世紀前半のポルトガル貴族のおはなし。
ポルトガルがこんなにきらびやかだった時代。むかーしポルトに旅行したとき、教会その他、観光名所となっている建物がみんな、外見は地味なのに中は豪華絢爛なタイルと絵画で覆われていて、圧倒されたのを覚えてます。この映画の前半は、その栄華のころのリスボンが舞台です。(後半はパリ。)

画面がものすごく豪華かつ美麗で、テートブリテンの「ヨーロッパ絵画室」に長くいすぎて、自分が絵の中に入ってしまった、みたいな感じです。

人間関係がこんがらがってるんだけど、そのきっかけは「相手を一目見て愛した彼はライバルを殺害することにした」のように短気かつ衝動的。長年かけて関係性をはぐくんでいくような人間ドラマではなく、チェスの駒をあっちに動かしたりこっちとぶつけたり、という風です。

冒頭で、孤児院で暮らしている才気あふれるジョアン少年は、子どもたちに「なんでお前には名字がないんだ」とあざけられ、その後倒れます。私がこの子だったら、自分の名字がない背景を、あらゆる想像力を駆使して妄想するだろうと思いました。当然その妄想は、自分が実は大変高貴な家の子で、どうしても普通に育てられない事情があったんだ…という方向に広がるでしょう。かつ、なぜ自分の預け先がこの孤児院なのか、どうしてディニス神父は自分に目をかけてくれるのか、といったことにまで広がります。高い知性を持っているけれどまだ14歳の孤児院の少年なので、男女のあいだのことは「出会ってキスをして、あとはムニャムニャ…」程度の想像しかできません。…そう考えると、これほどの力が入った大作なのに、あちこちに「やけに短絡な判断」とか「都合のよい偶然の出会い」が起こることが、「すべては少年の空想だった、かも」と考えるとツジツマが合うように思います。

これは壮大なヨーロッパ史バージョンの「マルホランド・ドライブ」なのだ、と妄想するのが、私としては面白いのです。