映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

フェデリコ・フェリー二監督「8 1/2」469本目

「人生は祭りだ、共に生きよう」
このラストは、ダメだったり素晴らしかったりする自分の、すべてを肯定しようという決意。
たいがいの映画監督は「こんなんじゃダメだ、俺が変えるんだ」という情熱で、若いころに映画を撮り始めるような印象があります。老成してからは人生や世界を俯瞰して、死を目前にすると死も生と同じように受け入れるようになる。43歳の監督と主役のこの決意をみてちょっとイラっとするのは、自分自身まだそこまで老成してないからなのか、個人のそこまで至る逡巡を1本の映画として見せられるのがイヤだと思ったからか?
「何をいまさら当たり前のことを」。自分が何をわかってるわけでもないのに、そんな風に反応してしまいました。
(「アンダーグラウンド」はこのエンディングを取り入れたんですね、きっと)

フェリーニとはあまり相性がよくないみたい。“血液型が違う”的な、私だったらそうしない、という感じが常にあります。すごいなぁと思うけど身体に入ってこない。
全体的に、ちょっと喧噪が過ぎて落ち着かない。

といっても、たとえば私にも大仕事の本番の前夜のような、アドレナリン大放出のときがある。前夜なのに出演者が確定していない。もうだめかもしれない。大失敗の烙印を押されて失脚する夢を見て、夜中に何度も目が覚める。…この映画はそういう状態の映画監督を描いた映画。

しかしそれにしても、華麗すぎて共感できない。忙しすぎるときほど遊びたくなって、夜遅く待ち合わせしてハシゴしていつまでもおしゃべりすることもある…けど、なんかもっとガード下の居酒屋でゲソ揚げで飲んでるみたいな感じなので、疲れて高揚してるときに着飾ることや着飾った人たちといるイメージが自分のものにならない。

黒澤明もだけどフェリーニも、本質的に「バイオレンスを肯定する人たち」(肉食系?)のように感じられて、草を食んでいる私にはちょっと怖いような感じがあります(←うそ、私肉好きだろ)

大好きなアヌーク・エーメが、この映画ではあまり輝いていません。髪型が…。かるくパーマのかかったベリーショートなのですが、なんというかちょっと老けて見える。彼女のクールさが目立たず、目鼻立ちの大きさがキツく見える。「男と女」で彼女がパーマをかけている場面があって、(そうかさりげないボブだけど、実はゆるくパーマがかかってるのだな)などと思ったのですが、あれが最高です。マネしたい(無理。)