映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録 完全版」510本目

1979年、むかーし、母と映画館で見た作品。
子どもの頃に見た映画って、記憶のすごく深いところに刺さってるんですよね。
映画のいちばん最初のせりふが「Saigon, I'm still in Saigon」だったことや、ヘリ
コプターの音とか、カーツ大佐のコミューンが舟から見えてきたときの、白い人たちの
異様さとか、つぶやくようなナレーションとか。
鮮明に覚えてる。
そのときのカーツ大佐の帝国の衝撃が強くて、映画やテレビで“異形の王国”を描いた
もののなかで、このときを超えるものはありません。
でも、新聞も読まなかった小娘の私に、ベトナムアメリカの関係など理解できず、こ
の映画の意味は大人になってから少しずつわかってきました。

で、やっと見返してみた次第。
すごい作品ですね。アメリカ人がこれを撮った勇気ってすごい。

マーティン・シーンの大きな青い目が澄んでいて、カメラのように事実をまっすぐに見
据えるアメリカ人の「目」そのもの、という印象です。

記憶違いについて。
カーツ大佐の人間的弱さを感じさせるシーンがあったのは意外。
ドアーズの音楽はもっとずっと流れ続けていた気がしてました。
カーツ大佐の帝国に、あんなに死体があふれていたとは完全に忘れてた。
泥の中から頭を出したのは、カーツ大佐のほうかと思ってた。

こんな戦争を若い頃に体験した人たちがいま政治の中枢にいるはずなのに、まだ戦争を
しようとしてるなんて、どうかしてる。麻薬をやって地獄を見たことがある人が、また
麻薬に手を出すような、負の連鎖なんだろうか?

34年後に見て、やっと理解できたこともたくさんあるけど、最初に感じた人間の狂気と正気、おそろしさと美しさのようなものは、今回も同じでした。やっぱりこの映画はすごいです。
私はみんなが笑って暮らせるパラダイスを夢見る人間だけど、現実にはこの映画を見たあとに他国に侵攻できる神経を持った人たちがいて、私にはそういう人たちを止めることは不可能。人間ってこういう風に殺し合うように運命づけられた存在なんだろうか?