映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

大島渚監督「日本の夜と霧」731本目

1960年の作品。
自分が成長したのか退化したのかわからないけど。
若い頃は、若い人たちが青筋たててこういう議論をしてた時代ってカッコいいと思ってた気がするけど、今はあまりそう思わない。以前は、資本主義か社会主義かということは重要で、社会主義のほうがいいと思ってたけど、今は大事なのは生命とか幸せとか、静かに思いやり合って暮らすことだと思ってるから。何主義かなんて、人によって全部少しずつ違うから、それが一番になってはいけない、と、むしろ思ってる。
だから、こういうイデオロギーに凝り固まった集団が、それだけで怖いです。「正しさ」のために犠牲を厭わないという考え方は、カルトにも似てる。

この映画自体は、イデオロギー讃歌からは遠いけど、単純に批判するのでもなくて、こういう団体に関わった若者達の、彼らがまったく意識していなかった人間性や心理を描こうとしたのだと思います。画面の感じだけ見ると、アガサ・クリスティのミステリーのクライマックスみたい。場に集まった人たちにみんな秘密があって、中の一人が犯人、という。みんな深刻な顔をしていて、さも重要なことを言っているように見えるけど、人間が集まったところで起こること自体は、時代が変わってもやってることが変わっても同じなのかも。

真剣な議論って、低俗でない、とは思うけど、高尚だとも思わない。
真剣すぎるとどんどんおかしくなっていくのを、ちゃんと見ていて、「あれ?」と思ったらすーっと逃げる。誰も残らなかった。というのが健全なのかも。ムキになってがんばってしまうことの多い自分に対しての、注意喚起にもなりました。