小津映画の”わざとらしさ”が、笠智衆と原節子にだけある。杉村春子も月丘夢路も演技は自然なのに、この二人はいつも微笑んでいる。そんなアルカイックな地上の桃源郷のような美しさにいつも見とれてしまうけど、不自然なものは不自然だとも思っていました。
この映画では、原節子のふくれっ面が見られます。
それも、自分のことではなく、父親の再婚相手と思われる美しい人を前にして、彼女と見つめ合う(ように見える)父の表情を盗み見て、怒ってうつむくのでした。
原節子は、ひたすら純真で美しく、すべてを甘受して微笑む殿上人として描かれているのかと今まで思ってたのですが、そうではなくて、ゲルマン系のようにがっちりとした肩幅、割れた堅いアゴをもってしても、「ねんねのお嬢ちゃん」というキャラクターだったのだということに、やっと気づきました。年の割に幼いからニコニコしていて、純真だけどその分頑固で、家という今の幸せを壊すことが許せない。
どの映画でも同じというわけではないんだろうけど。というか、この映画のあと監督も父も娘も少しずつ成熟していって、「東京物語」の彼女は、すべてを甘受して聖母になって微笑んでいるようにも思えます。でも「晩春」の中の彼女は、父にやきもちを焼いたり、叔父に「きたならしいわ」と言ったりするくらい「ねんね」だけど、最後は父に諌められて素直に嫁に行く、おさない娘なのでした。