映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

マッテオ・ガローネ 監督「リアリティー」1072本目

1992年のイタリア映画。
カンヌでグランプリをとったのに日本では評価が低いらしい。
私も最初に通しで見たとき、まったくとっかかりが見つけられませんでした。
現代イタリア映画ってものをまるっきり見たことたなくて、イタリア人のふつうの生活ってものがまったく想像つかないんですね。アメリカ、イギリスなら想像できるし、東アジアだけじゃなくて東南アジアあたりのこともなんとなくはわかるのに。観光地以外のヨーロッパの遠さに自分でびっくりするくらい。
KINENOTEにもWikipediaにも詳しい解説がないし…もうちょっとわかるまで…と思ってDVDを何度か回してみました。

冒頭は結婚式で、仲間内で人気者のルチアーノは毎回いろんな扮装でピエロ役をやってる。昔の宮廷みたいな超豪華(っぽい)扮装で、新郎新婦はマリーアントワネットと王様みたいな盛り盛りの頭。その後ずっと映し出される、わびしいくらい貧しい生活との対比を笑うところなんでしょう。

ルチアーノは魚屋で働いてるけど、彼の妻の仕事は「ロボット」を売る仕事。ルチアーノは、これを売って買い取る擬似レンタルのビジネスにも関わっています。この「ロボット」が何かすごくわかりにくいと思うんだけど、多分、2年前にドイツの親戚の家で話を聞いた調理器具(をロボットの形にしたもの)だと思う。上のボウルに材料を放り込むだけで、材料を切る、混ぜる、こねる、その後下の加熱部分で焼くところまでやってもらえるという器具。なんでもできて便利で楽だけど、たしか「25万円(換算)もしたの!」って言ってた。ローンで買うような高額商品です。(電圧が違うのもあるだろうけど、日本にはまったく入ってきてません。)しばらく使ったら飽きるから、レンタルでちょうどいいかも。…最初はルチアーノと妻がレンタルビジネスをやってるのかと思ったけど、そうじゃなくて中古を買い取る約束で販売する形みたいですね。素直に商品を戻さない客も出てくる。そういう場合に、なんだか違法すれすれ的な商売をやってるもんだから、保険とかはかかってない。…そういう器具が存在して、そういう商売があるんだということを理解してから見ると、たぶんだいぶ楽だと思う。

それから「リアリティーショー」ってのも、内容がよく見えないけど、素人がかなりがっつり出演する超人気番組(出演が決まったというと、町中の人が拍手喝さいするほど!)らしい。人気者としてのルチアーノは、何が何でもこれに出演してみんなに「すっごーい!」って言われなきゃ、という強迫観念にかなりやられています。

「ロボット」レンタル商売の真っ最中に”財務警察(?)”に追われてるからといって、買い渋っていた女性にロボットをあげてしまいます。そのために魚屋を売ってしまうあたり、もう完全におかしくなってきています。

ルチアーノはど派手なクラブで、「リアリティーショー」のスター、エンツォが宙づりになって登場する場面に出くわすと、彼を追いかけて問い詰めてしまいます。その後家で、家族全員で食い入るように「リアリティーショー」を見つめつつ、彼が当選した当選したというのは嘘だ、もう嘘ばっかりいうのはやめろ、という声がかかります。ここ意外と面白いポイントで、日本だと例えば寅さんがホラを吹いても、面と向かって「そんな嘘ばっかり」というより妹の桜が「お兄ちゃん、本当は当選なんかしていなんでしょう?」と人のいないところで言う、となるのを、イタリアだと誰かが大声で叫び出す。なんにしろストレートで、見ていてちょっとスカッとします。

食い入るように見るんだよなぁ。確かに、前の仕事で、イタリアやカナダの同僚が、ドラマを熱心に見て出演者のこととか話し込んでたのがちょっとびっくりでした。日本では、”外資系企業の出張しまくってるOL"がテレビのドラマに釘付けというのは”ダサい”、”バカっぽい”というイメージが普通じゃないかと思います。テレビは教育に悪い、と言われて育ってきてるし。ただ、日本では今テレビからスマホのアプリなんかに退屈しのぎの対象がシフトしてるだけかもしれないけど。あと、「家族みんなで」というのと、「個人個人で」というのがその人たちと私たちの違いだ。

テレビが「いつか来るかもしれないから」あるいは「もう常に監視されていると思うから」、ルチアーノは無意味で大げさな慈善を続けて、しまいに妻が家を出てしまいます。
人の期待に応えたい、というのは健全なマインドだけど、どこで踏み外してしまうんでしょう。もともと、別にショーに出たかったわけでもないのに。

「リアリティーショー」の実態は、最後まで見るとよくわかります。オーディションで選ばれた一般人たちが、スタジオ内に作られた住居のなかで、実際に暮らすのね。インテリアが豪華で室内プールもあって、大人たちが遊んで暮らしています。(「電波少年」系の日本の番組みたいね。どっちが先?)こんなの、暮らす方もモルモットみたいだし、見てて楽しいもんかね?

でも、貧しかったり辛いことに耐えたりしている普通の人が、「ここではないどこか」に憧れるのは当たり前だし、何も希望がないよりあったほうがいいのかもしれない。手の届かないフィクションの世界に憧れるバカな男のリアリティを映画にしたのが、これだ。テレビのリアリティショーではない本当のリアリティ。…という名のフィクション。

一番怖かったのは、暗いキッチンでスイカをがっつく中年男という場面でした。べつにスイカ食べたっていいんだけど、そのときそれが、一番陥りたくないわびしさのように見えたから。それに比べると、映画の終わり方は暖かかった。それもまた人生、いいじゃないか、という大きい人類愛のようなもので、見終わった観客は支えられて明日も歩き出そうと思えるのかなと思います。

携帯アプリ中毒になって借金を作った主婦の映画とか、日本にもこれに近いテーマはいくつでもあるけど、実際に作ったらどんな映画になるだろう?なにか乾いたドキュメンタリーめいた映画なら、もうそれほど見たくないな。この映画に対抗するようなものを日本らしく作ってくれる人がいたらいいな。と思います。