映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

テオ・アンゲロプロス監督「ユリシーズの瞳」1715本目

ギリシャの監督のはずだけど、主役の「A」(ハーヴェイ・カイテル)が英語をしゃべるし(※一部ギリシャ語)、イタリアとフランスの合作映画だし、ロシアみたいな場面がいくつも出てくるし(頭だけの巨大な彫像をクレーンで吊り下げてるのは、「グッバイレーニン」を思い出してるだけかな)、ちょっと不思議な映画です。

マイペースに自国語をしゃべり続けてるのは、Aだけじゃなくて全員そうみたいだ。わからない言語ばかりだし、ドナウ河の流域がどの国とどの国に渡っているのか、地理関係もわかってないし、歴史も知らないし、そもそもどの国が社会主義国かもわからない。こういう映画は、DVDでゆっくり見ながら徹底的に調べ物をした方が面白くなります。
というわけで、ドナウ河の流域の国々はこちら: ルーマニアハンガリーオーストリアセルビア、ドイツ、スロバキアブルガリアボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアウクライナチェコスロベニアモルドバ、スイス、イタリア、ポーランドアルバニア。なんとWikipediaで17カ国も示されています。(ギリシャ入ってないじゃん)島国の私からは到底想像もできない。ヨーロッパの歴史を、川とたどるだけでどれほど語れるでしょう!・・・つまりこれが監督の意図で、(といっても映画だけではわからないのでKINENOTEの解説から)ギリシャアルバニアマケドニアブルガリアルーマニア(※ここからドナウ河を上る)〜セルビアボスニア・ヘルツェゴビナに至ります。

旅する映画を作る監督なんだよな。近代史をたどる旅。誰も糾弾しないけど、倒れた人たちと、旅を続ける人たちに優しい気持ちを注ぐ。・・・だから、正直意味は正確に受けとめられていないけど、この監督の映画はなんだか良いのです。
失われていたフィルムを現像することは、過去をきちんと見直して受け留める意味を持つのでしょう。そこに到るまでに通り過ぎてきた、失われた人たちの心も、そこには込められているように思います。

ユリシーズの瞳 [DVD]

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