映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

エリア・カザン 監督「欲望という名の電車」1812本目

1951年の作品。「草原の輝き」「エデンの東」「波止場」より前の作品なんですね。
行き先を車体の頭に表示するのはバスや市電ではよくあることで、誰か高知の「ごめんという名の路面電車」を題材に何か書いてくれないかしら。ていうか名前じゃないんですけど。

ブランシェ(ヴィヴィアン・リー)が、美人だけど女性に嫌われそうなベタッとした女性の役で、まあなんとも言えずイヤな感じ。スタンリー(マーロン・ブランド)は肉体労働者然としていて、魅力的だし知的なんだけど、キレると怖そう。
大人しそうに見えた妹のステラ(キム・ハンター )も、彼に従属することに甘んじて荒んだ生活から抜け出せそうにない。ここでブランシェの方が希望の光のように見えてくるんだけど、本当にそうなら旧家を失って、妹を頼ってニュー・オーリンズに出て来たりしないはず。

と、ずっと怪しみながら見てるんだけど、「結婚を意識しすぎて年齢が言えないの」というこの神経症的な女が、だんだんとふびんに思えてくるのです。ウソつきで見栄っぱりで。ここまで自分に正直で純粋な人がダメージを受けると、狂気の世界へいざなわれてしまうのでしょうか。。。

なかなか後味の悪い映画でした。演技力が高すぎて、ヴィヴィアン・リーが痛々しく、マーロン・ブランドが恐ろしく見えてしまいます。