映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ラヴ・ディアス 監督「立ち去った女」1815本目

白黒でコントラストの強い、ルイス・ブニュエルみたいな映像。カトリック色の強いキリスト教会。なんかメキシコみたいだ。「エル」だな。4時間もあるというので、ところどころ1.5倍速で見たけどあまり違和感を感じなかった。そして、間が長くセリフも途切れ途切れなのにもかかわらず、ストーリーはストレートに進行する(パラレルだったり、回想が混じったりというような複雑なことは何もない)し、意外と短い4時間です。

フィリピンがアメリカの前にスペインに支配されていたため、ローマ・カトリックが多いことや、人の名前が「ホラシア」とか、スペイン語圏みたいだってこと、普通に知っててもおかしくないのに知らなかった(お恥ずかしい)。

主役のホラシアを演じてるチャロ・サントス・コンシオっていう女優さんの存在感がすごいですね。苦労して強くなった本物の大人、って印象。いじめられているゲイの役の人もすごい存在感。日本語の発音がいいし、きっと本物のショーガールなんだろうな。

冤罪。それは、天使のような女性が、30年の刑期の中で悪魔の心を育てるということ。
出所してからも善行を積み続ける彼女の中に大きく育っている黒いものを受け止めたのは、人の悪意のゴミ捨て場のようにされてきたトランスジェンダーの人物、ホランド。ホラシアはホランドに自分の犯罪を背負わせたようでもあります。いつでも重荷を負うのは、一番善良な生き物なのかも。

そしてホラシアは、ロドリゴに贖罪の機会を与えられなかったことを一生胸の中に持ち続けるんだろう。
ホランドは自分が長年受け止め続けてきた多数の人たちの悪意を、その瞬間に全てロドリゴにぶつけることができて、爽快になれたのかもしれない。ロドリゴはその瞬間赦されたと感じたかもしれない。最後の最後に、一番辛いのはまたホラシアなのかも。やさしい人間にとって一番幸せなのは、誰かを喜ばせるとき、誰かを助けているときだ。ホランドはせっかく彼女が幸せを感じていたときに、恩返しのつもりで幸せを奪ってしまったのかも。ホラシアは、誰かを使って憎い人を殺させるという、自分が被せられた罪を、無垢な他人に被せてしまったっていう思いを一生持ち続けるんだ。尋ね人のチラシを何千枚ばらまいても、彼女の生きる目的はもう失われてしまっていて見つけられない。

教会の周りの夜のバイクの音・・・外国に行くと、空港から街に向かうバスの中で聞くのがこの緩やかな喧騒なんだよね。かつて自分が行ったどこか暑い国の、確かに存在している人たちの物語だ、と感じます。