映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ローレンス・オリヴィエ監督「王子と踊子」2300本目

この映画の撮影裏話「マリリン7日間の恋」を見たあとでこの映画を見る人ってたくさんいるだろうな。ローレンス・オリヴィエはきっと、英国的虚飾の中にこの天衣無縫な女性を放り込んだら面白そうって思ったんだろうな。モンローのセリフも、その秩序の順や間に沿って言わされるので大変だったろうな、と感じます。オリヴィエは英国的秩序の中に、それを笑える人間性が隠れてることをよーくわかってる(妻はヴィヴィアン・リーだしモンティパイソンの国だし)けど、モンローはそういう虚飾のなかで育ってないから、虚飾が無駄な形式にしか見えなかっただろうし、どこをいじっていいのか悪いのかもわからず、ボーデイングスクールに放り込まれた野生の動物みたいに戸惑ったんだろうなと思います。

しょっぱなからこの二人の出会いは、あいさつしたときのモンローの「おっぱいぽろり」というのが、隠れスケベ紳士の国、英国らしくて笑えます。オリヴィエもその線を狙ったんだろう。でもこの冷たい(本当は見せかけなんだけどね)人々の中でひたすら道化を演じなければならないモンローの緊張感や孤独は、大変なものだっただろうなと思います。極度のアウェー感ってやつ。

モンローはすごく聡明な女性で、アメリカでは「愚かにふるまいつつ実は賢く、でもその根っこはやっぱり男に劣る」という女性像が求められることをよく理解してずっとそれを演じてきたんだと思う。イギリスのカッコつけの紳士たちは、本当は自分たちの浅さをよくよくわかっていて、女性たちの地に足の着いた姿勢を尊敬してる。オリヴィエは彼女に、無邪気を装った成熟を期待してた。でも彼女自身は、わりとネガティブな自己認識を持ち続けた人だと思う。(アメリカの)男に求められる女性像を演じ続けて愛されることで自分を保ってきた人が、突然外国に連れてこられて難しい役をこなさなければならず、自信のないままずっと時間つなぎをしつづけたのかな、と思う。

自己認識の高低って一生すべてのことに関わってくるんだな。高めるのはすごく難しいけど、時間をかけて丁寧に自分を認めてあげられたら・・・(私自身も含めて)

もともとアメリカよりイギリスが好きでハリウッド映画よりモンティ・パイソンのほうを先に見てた私の目には、オリヴィエったらコメディもやるじゃん、という上出来な映画なのですが、やっぱりモンローの存在感はちょっと異質で、気の毒な気持ちになります・・・。