映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

キャロル・リード監督「邪魔者は殺せ」2341本目

先日神田古書街に行ったときに、1977年発行の植草甚一「サスペンス映画の研究」という本を見つけて買いました。いかにも高度成長期っぽい装丁で表紙には「第三の男」のオーソン・ウェルズ。即買いしてしまいました。

※ちなみに2005年に再発してます↓↓↓ 

1970年代の本にしては取り上げてる作品が古いのは、これは著者が大御所になってから様々な雑誌に書かれた映画評をかき集めたものだから。書かれたのはそれぞれの映画の公開直後と思われます。この本の冒頭でにぎにぎしく取り上げているのがこの「邪魔者は殺せ」。

…感想は…ちょっと難しいな。「第三の男」も、凝りすぎててあまり素直に感じられなかった。監督と相性があまりよくないのかな。でも落ち着いて感想をまとめてみたいと思います。

最初は、犯罪者グループ全体の物語だと思って見てたけど、これはジョニー=Odd man=ジェームズ・メイソンの話だったんですね。グループが得たお金はどれくらいだったか、強盗のおかげで無事テロ活動ができたのか、などは不明です。

ジョニーは画面に出ていてもいなくても話題の中心、映画の9割くらいを占める主人公です。グループとしては実際、彼を連れて行かなければ成功した事件だったと思うし、脱獄後こんなに目がかすむのに自分にやれると思っているリーダーには、リーダーの資質はないんじゃないか?誰の言うことも聞けずに強盗に参加して、遅れながら付いていって実際足手まといになる、自我のかたまりのジョニー。撃たれて重傷を負った彼を、仲間は捨ておこうとします。

この映画とか「セント・オブ・ウーマン」とか、「わが町」とか、良かれと思って周りを巻き込んでいく男の映画って東西を問わずけっこうありますね。すごく男性的で、共感するのが難しいヒロイズムというかナルシズムを感じてしまうけど、3回見たらちょっとジョニーがかわいそうに思えてきました。でもその一方で、キャサリンに対する共感は減っていって、彼にとって都合の良い女神だなぁ、やっぱりこの映画は“仁王立ちして号泣する男の世界”の映画だ。壮大なる男の自己憐憫まつりだ。(少し共感しはじめたから言うのですが)

プロテスタント英米世界では、チームで合理的に作業を分担してうまく強盗を成功させることが正しいはずなのに、この映画はむしろルイス・ブニュエルみたいなラテン的カトリック的宗教観で、最後に神に出会うことが美しいんだな。ジョニーを愛し、助ける女性の名前キャサリンは、よく聞いてると、神父のいる教会と同じ名前だ。「ノワール」というよりクリスマス・キャロルなんですね。

刑務官かと思ったら、子どもが大きなボールを持って立っていた場面。アトリエじゅうの絵が自分に向かってきて、その向こうにいる牧師がなにか喋っているのに聞きとれない場面。…こういう象徴的でインパクトの強いイメージ映像って、当時かなり最先端だったんじゃないだろうか。とくに後者は、まるでデヴィッド・リンチですよね。こういうのを見て育ったんだろうな、リンチ監督は。彼の映画は悪夢みたいに、こういう「最期の時間」が繰り返し繰り返しやってきて終わらない映画みたいだもんな…。

 

映画に何を読み取ろうとするかで、評価の観点がまったく違ってくる。私は多分コンテクストを愛する者なので、時代背景や監督の出自を深堀したくなって、映像表現は優先順位としては次に来るんだと思います。いろんな見方があるから、他の方々の感想を読むのはすごく面白いですね! 

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