川島雄三監督作品、どんどんレンタルしています。しかし昔の日本映画ってほんと、セリフが聞き取りにくいな~。
冒頭、日本画の大家(中村鴈次郎)と彼の妾の若い芸者里子(若尾文子)、住職(三島雅夫)が語らっている場面は平穏だけど、老人と若い女がいちゃついている様子はちょっと異様。よりによってストイックなはずの禅宗なのに…。なんとなくいやな予感がするなと思っているうちに画家は亡くなり、寺を再訪する芸者の玄関の足元には「照顧脚下」という札が倒れているのが象徴的。調べてみたら、玄関先で足元に注意ということらしいんだけど、仏教用語で「自分の身の回りの行いに気をつけよ」という深意があるらしいです。「華麗なるギャツビー」の、いつでも見られてるぞという眼鏡屋の看板を思い出します…。
その後も、和尚が里子に酒を飲ませて迫る場面では仏壇の中から部屋を見渡すショットで、「観音様も見てはるで~」と牽制。小坊主の慈念はいつも恨みの表情。彼が現れる場面ではいつも不穏な音楽が流れます。とんでもない生臭和尚とまじめすぎる小坊主。どう考えても相性が悪い。ここで若尾文子は、和尚の妾なんてイヤだけど、この時代の女性にしてみれば、派遣先の上司が変わるくらいに思って受け入れるしかなかったのかも…。だって母親から「次のご主人が見つかってよかった、お給金はいくら?」って聞かれてるくらいですから。ひでぇ話…
小坊主が寺から通う中学は、古臭い軍国主義で、校庭で行進ばかりさせている。そこに日本の仏教の良心のような僧侶、木村功が教師として教えている。キーパーソンになる予感。
生臭坊主が亡くなり、後任として木村功が来たときの若尾文子の表情。あえて長い時間、彼女が振り返って戸惑っている表情を大写しにしているのはなぜ?小坊主と二人でやっていこうと思っていたのに邪魔が入った、ということ?
最後に唐突に、外国人も含む大勢の観光客が訪れる場面がカラーで映し出される。音楽は華やかなデキシーランドジャズ、切り取られた母雁も修復が済んでいる。これってなんかのギャグ?私としては、小坊主がその後、自分の中の鬼と対峙した結果高僧となり、迷い込んできた強盗を諭す…という後日談が良かったな。(日本映画ありがち、すぎるかしら)