映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

荒井晴彦 監督「火口のふたり」2398本目

この映画のことはほとんど知らなかったので、キネマ旬報ベストテン1位と聞いて「なんだっけ?」と思ってしまったのですが、見たらじつにしみじみーといい映画でした。地味だし「エロス」に分類されるのは事実なので、下手すると埋もれてしまいそうなこの映画が、こういう賞を取ることで今後もたくさんの人に見られることが嬉しく思えます。

見終わって思ったこと。

そうか、人生とは間もなく起こる富士山の噴火までの一瞬なんだ。それが明日の朝なのか、来年なのか、30年後なのかは誰にもわからない。だったらやりたいこととか“身体の言い分(この映画で直子がよく言うことば)”どおりのことを、時間がくるまでやっていればいい。…そんな感じです。

荒井監督の監督作品を見るのはこれが初めてですが、彼が脚本を書いた「赫い髪の女」に近い世界だなぁと思いました。冒頭の歌声はもしや…と思ったらやっぱり伊東ゆかり。昭和ふうの甘くけだるい歌といったら、彼女ですよね。それだけでこの映画の世界観の一端がつかめると思います。この映画でもひたすら二人はセックスしたり、ラーメンを食べたり、ハンバーグを食べたり、ビールやワインを飲んだり、身体の言い分に身を任せます。「赫い髪の女」は湿ってちょっと暗いけど、こちらはいつもお天気のような明るさや軽い笑いが常にあります。こういう達観したような明るさって「巨匠の晩年の作品」によくあるのですが、荒井監督は「まだ」70過ぎなので、80、90、100歳と、もっともっといい映画を撮ってくれそうですね!

この軽い、抜けるような空気感のなかにいる直子を演じた瀧内公美が主演女優賞まで取ったわけですが、素敵だし演技がうまい、というだけじゃなくて、直子としてあまりにも自然でした。もはや演技じゃない、そこにいる直子を撮ったんでしょう?という。ちょっとゆるくてテレンとした雰囲気の女性がイトコに話す親し気な感じなんて、他人に向かってなかなか出せないと思うけど、うまいのにどこか硬い(そういう役柄なんだけど)柄本佑も超えました。(この自然さ、私は「ナビィの恋」のときの西田尚美を思い出してしまった。あの映画も好き)

授賞式で監督はこの作品を「ハダカ映画」(笑)と呼びましたが、そんな映画を1800人も入るホールで、若干かしこまった年配の大人が集まって神妙な顔をして見るのって可笑しい。ホールだから、音声にいちいちエコーがかかって大仰に聞こえるのも愉快。偉そうなことをいくら言っても、みんな同じ人間なんだもんなぁ。

もしかしたら、大人になって、まあまあ枯れてきてからでないと、しんみり味わえない作品かもしれません。でもどんな人にも、人生のどこかのタイミングで見て一度はしみじみしてみてほしいなと思う作品でした。

最後にひとこと。これってヴェスヴィオ火山の噴火でつながったまま化石になった男女の映画だ。わりと幸せな最期じゃないかな…。

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