映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ミシェル・フランコ 監督「或る終焉」2590本目

<ネタバレあります>

どう捉えるか、難しい映画だな。こういう映画は観るものによって解釈が分かれるんだろう。原題は「Chronic」慢性的。邦題は監督の意思と無関係だと思うので、この映画を「Chronic」と名付けた監督の気持ちを推し量ってみよう。

慢性的なのは彼が介護する人たちの症状だけど、彼自身も、心療内科に行った方がいいんじゃないかと思うくらい、長年の出来事からくる慢性的な憂うつにさいなまれてる。

うんと年を取ったあとは、お迎えが近くなっても毎日が空虚なだけで、憂うつというような重さはなくなっていくんじゃないかと想像しています。それとは対照的に、彼の憂うつは、ジョギングをするときの健康さと、やり場のない心のアンバランスにある。

性的暴力があったと訴えられている上に、彼がやった自殺ほう助が明るみに出たら刑務所行きで、出てきても介護の仕事はできないだろう。八方ふさがり。

自殺をする人には、周到に冷静に用意をして、確実になるべく楽に死ねるようにする人と、衝動的に飛び出したり飛び降りたりする人がいる。彼は飛び出したのか、それとも悩んでいて周りが見えなかったのか。あれは終焉なのか、そのあとに続きがあるのか。

救われない人たちの優しさを愛する監督なのかな。同じメキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の「ビューティフル」を思い出すけど、こっちのほうが熱量が低くて乾いてる。ちょっとヨーロッパの監督っぽい。ラテンとヨーロッパのミックスみたいな感じに興味があるので、他の作品も見てみたいと思います。

或る終焉(字幕版)

或る終焉(字幕版)

  • 発売日: 2016/12/02
  • メディア: Prime Video