映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

山田洋次監督「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」2600本目

超大人気シリーズでありながら、ずっと下町のロケで制作してるイメージが強くて、冒頭からけっこう豪華な海賊船のセットが現れて「意外とお金かけてんなー!」。マンネリを避け、ヒットのごほうびとしてもこういう趣向にしてみたのかもしれません。

寅さんシリーズは私が小さい頃、お父さんは好きだけど私はあんまり~、私が見たいのは怪獣映画やスターウォーズなの~、と横目で見て育ってきたシリーズなので、いまさら自分で借りてきて見るのは妙に感慨深いです。

この映画は、名作の誉れ高い15作目、浅丘ルリ子が二回目のマドンナ出演です。懐かしいような、まぶしいような日本家屋。浅丘ルリ子って声がいいなぁ…まばたきするとバッサバッサ音しそうな付けまつげだな…ちょっとやせすぎでないかね…(など、いろいろ)

小さい頃は人の情感があまりわからないガキで、天才バカボンや寅さんの機微がむしろうるさく思えたものでしたが、今は懐かしさが勝ちますね。

ふと冷静になって見返してみると、この映画には日々のストレスをいろんな風に流してくれる要因が詰まってますね。ほとんどの人がこの頃は家族や家、仕事に縛られて一生同じところ、同じ人間関係の中で終わるしかなかったと思われます。そこに「フーテン」の寅さんは風のように戻ってきて、人間関係が濃密になりかけるとまたふっと出ていく。浅丘ルリ子と結婚して家に住むのが不満だとでもいうのか、と昔は思ったけど、やっと家にいついて美人で気立てのいい奥さんをもらって堅気の生活を始めて、皆にほめられて羨まれるのなんて、…いいことってなかなか窮屈ですよね。

こんな風な「日常の風穴」のような存在…コメディアンでも歌手でもいいのですが、そういう人がどんどん減ってきている気がします。「スター」と普通の人の距離が縮まってくるのもいいけど、手をのばしてもぜったいに届かない寅さん、普段の生活が想像できない渥美清、そんな人の存在って日本に欠かせないものだったのかも、という気がしています。