映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジョン・スタージェス監督「日本人の勲章」2652本目

<ネタバレあり>

第二次大戦前にアメリカに渡って農夫をしていた日本人に、ある元軍人が戦争終結後に会いに来た。その日本人の住所はわかっているのに、町の人たちはみな彼の訪問を阻止しようとする…。サスペンスとしてもよく出来ているし、普通の人たちの怖さや人種差別の問題の深さを描いた名作です。

1955年当時には日本でも上映されたようだけど、その後日本でソフト化された気配がありません。これは、見たら嫌な気持ちになるような昔の差別感覚あふれる作品かも…とびくびくしながら見ましたが、逆。戦争中の人々の差別意識を人道的な視点で振り返る、人類愛の映画でした。(Amazonプライムの見放題で見られるかと思ったら1528円で購入したことになっていて少なからずショック)

主役は演技派スペンサー・トレイシー。彼が出ると画面が現実に見えてきます。どうやったらこんな存在感、実在感が出せるんでしょう。何をやっても何を言ってもわざとらしくないです。

退役軍人の彼が探しに来た日本人の名前は字幕では「コマコ」、KINENOTEでは「駒古」となっています。コマコといえば川端康成「雪国」のゲイシャの名前ですが、映画化されたのは最初が1957年なのでアメリカで誰かが見てこの名前を使ったわけじゃなさそうです。どっちにしてもこの駒古は名字らしい。

駒古が住んでいた家はなく、焼け跡に野の花が咲いています。町の人たちは彼は収容所に入れられたと言いますが、スペンサー・トレイシー演じるマクリーディは、その花が墓地を意味することに気づきます。町の人たちは執拗に彼の邪魔をして、追い出そうとします。マクリーディは何をしにその町を訪れたのか?町を上げて隠そうとしていることは何なのか?

邪魔をする人たちも悪人に見えないところがツライですね。マクリーディは戦争で左腕を失っているのですが、激しい嫌がらせをしてくる男に対して右手をあげて攻撃します。これが強いのなんの。この頃はもマクリーディは、駒古が町の人たちに殺されたことを確信しています。なぜマクリーディはこの一枚岩の町で駒古のために争うのか。

マクリーディはとうとう町に来た理由を話します。駒古の息子に戦地のイタリアで命を救われ、身代わりに息子は命を落としたこと。その息子が受け取るべき勲章を届けに来たこと。…それを受けて事情を知る若者がとうとう、駒古の家に火が放たれ、出てきたところをスミスという男が撃ったことを話します。そこからは悪意の連鎖…自分の殺人をばらされたくないスミスは自分の恋人まで撃ち殺してしまい、最後はマクリーディの返り討ちにあって死んでしまいます。

 「アラバマ物語」とか思い出しますよね。黒人差別はアフリカから連れてこられた経緯から長い奴隷時代を経て今に至る根深い問題として深刻に取り上げられますが、アメリカで差別を受けていた日本人(おそらく他のアジア人も)のことは話題になることが少ないです。結局この映画には日本人は墓もない土の中と亡くなった兵士の名前としてしか登場しないのですが、もし日本人らしき人の姿が登場していたら、もっと映像のインパクトは強かったかもしれません。

これは見るべき映画でしたねー。知らないうちに1528円クリックしてたのはショックだったけど(まだ言うか)

日本人の勲章(字幕版)

日本人の勲章(字幕版)

  • 発売日: 2015/10/20
  • メディア: Prime Video