映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

グリンダ・チャーダ 監督「カセットテープ・ダイアリーズ」2716本目

今回も感想が長くなりそうだ。

ブルース・スプリングスティーンは高校~大学にかけて、暗い部屋で密閉式ヘッドフォンをつけて、目を血走らせて聞き込んだアーティスト。この映画で流れる楽曲も、歌詞まで覚えていて一緒に口ずさんでしまったほど。「ボヘミアン・ラプソディ」と同様、昔あんなに好きだったのにすっかり忘れててごめんよ、という気持ちから始まりました。

「闇に吠える街」から聞き始めて「アズベリー・パーク」「青春の叫び」「明日なき暴走」と燃えて聴いたのに、その後「ザ・リバー」「ネブラスカ」とサウンドが枯れていって高校生の私は熱い心を持て余したのですが、復活作「ボーン・イン・ザ・USA」が出たら売り切れ続出して、出かけた先の国立のディスク・ユニオンで輸入盤を買ったんだったなぁ。

田舎の高校生の私は家族の問題で胸がつぶれそうになっていて、なんとしてでも東京の大学に進学して、その苦境から脱するために毎日家事と勉強に血眼になって励んでいました。私にとってのブルースは「キャンディズルーム」とか「暗闇に突っ走れ」の中の、自分をバイクに乗せてさらってくれる、ボスというよりジェームズ・ディーンみたいな若者でした。「ボーン・イン・ザ・USA」はバカ売れしすぎてボスは遠くなり、同時に私もバンドや勉強に追われて、母が亡くなって東京で就職して、すっかり音楽から遠ざかっていきました。

しかし1992年に行ったロンドンのタワレコやHMVでは、日本ではとっくにすたれたカセットテープの新譜がCDと並んで売られていて驚きました。「USA」が1984年、この映画の舞台は実はわずかその3年後なのでカセットが出回ってても当然だし、まだ父親世代と言われるほど古くはなかったはず。この映画の原題はブルースのデビュー曲、この映画の「オチ」ともなっている「Blinded by the light」なのにカセットテープに固執する邦題は、カセットテープによるソフト販売が早くすたれた日本では「信じられないくらい古ーい」っていうところから来るのでしょうが、ちょっと悪趣味ですね。

イギリスの職場の同僚たちは、宗教や民族の違いを笑いながら話してるのが私には驚きで、気を使ってそういう話ができないアメリカの職場の同僚よりよっぽど開けてる気がしてたので、「パキ出ていけ」はちょっとショックだったけど、ロンドン中心部じゃなくて郊外の町だと昔からそうだったのかもしれない。

ストーリーはとても素直な、家族と若者の成長物語なんだけど、歌詞の深みもジャヴェドの痛みも、光に向かって突っ走る彼の無垢さも、私にはあまりにも自分のことのようで、フラッシュバックして頭がクラクラしてしまいました。

ずしっと来たのは、今の自分とその頃の自分の違いを見せつけられたこと。今は人生の敗北者のような気持ちで過ごしていて、しかもそれが運命とか育ちとか環境のせいだと思っている。あの頃の私は逆境を自力で克服できると信じて目を輝かせてた。実際状況がどれくらい違うかというと、年をとって未来はぐっと短くなったけど、風呂トイレ電話共同の四畳半のボロアパートより安心して住めるもっと広い家に住んでるし、昔からの友達もいれば最近仲良くなった人もいる。当時夢見た具体的なことは何も実現できなかったけど、たぶん他の人から見れば何不自由ない楽しそうな生活だろう。何でそういうのに満足して目を輝かせてないんだろう?ってのがこの映画を見た最大の気づきというかショックでしたね…。逆にいえば、何歳になっても今夜好きなご飯を食べておいしいお酒を飲めるとか、明日散歩に出かけて小さなカフェに行くとか、まあまあ幸せを感じることはできる。高校生の頃の自分に満ちてた「希望」を思い出せて、私にとっては重要な体験になりました。

「ビコーズ・ザ・ナイト」はすごく好きな曲だけど、今までずっと何十年もパティ・スミスが自分で書いた曲だと思ってた。言われてみればブルースっぽい気もする。夜は恋人たちのもの、欲望のもの、なんていう熱い恋愛に憧れた気持ちも懐かしい。年を取るといろんなことに慣れたり飽きたりするだけど、気持ちは本当は衰えてないのかもしれないのにね。

ところで、小太りな友人マットは「1917」で兄を助けるために走った彼だ!同一人物だとわからなかった。彼うまいなぁ。

カセットテープ・ダイアリーズ(字幕版)

カセットテープ・ダイアリーズ(字幕版)

  • 発売日: 2020/12/02
  • メディア: Prime Video