映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

タル・ベーラ監督「サタンタンゴ」2763本目

<ネタバレあり>

タル・ベーラ監督の映画は、ソファでポテチ食べながら見るものじゃないことはわかってるけど、映画館で7時間見続けたら消耗しすぎて無理なのでソフト化を待ってました。折しも、東京都のコロナ新規感染者がまた最高値を更新した今日、引きこもってVODで見ることにします。(TSUTAYAはすごく画質が悪いし早送りもできないけど、Amazonプライムの1650円よりだいぶ安い550円なのでこっちでレンタル)

長い映画を見るときいつも書いてますが、7時間って1時間ドラマ7回分を通しで見るだけのことなんですよね。「クイーンズ・ギャンビット」をぶっ通しで見るようなもの。「サタンタンゴ」は象徴的で暗喩的な作品かと思っていたけど、実は明確なストーリーがあるんですね。映画を見て、たくさんググって、特に深谷志寿という方の「サタンタンゴの世界」という文章に触れたものを読んだらわかってきました。孫引きになってしまって恐縮ですが、この方はこう書かれたそうです。「労働忌避の罪でイルミアーシュたちは逮捕されたけれど、警察のスパイ網を組織することを交換条件にイルミアーシュたちを解放。彼らは農民たちに真実を伝えることなく言葉巧みに金を巻き上げて、警察のスパイとしてあちこちに送り込んだ」警察に呼び出される第2幕を見直してみても、「これから私に仕えるか」という一言くらいしか、任務を与えたことを示唆する場面がなくて、そこまで深読みするのは困難です。でもそう考えるとつじつまが合う。幻想的な物語だと思い込んで見ていると、そういう世俗的・犯罪的なできごとに目が行き届きません。

冒頭の、気が付いたらみんな同じ場所に集まっていた牛。お金を埋めるとお金の木になると騙された少女。荘園を夢見て有り金全部イルミアーシュに供出してしまう村人たち。ぜんぶ相似で、繰り返し繰り返し操られる人間を描いていますね。

おおむね現実的な映画だと思いつつも、やっぱり超自然的な表現が散見されます。少女が居酒屋に現れるのは、亡くなった前なのか後なのか。最終章で酔っぱらいの医者が、見てきたかのように、”荘園”へ行ってひとり逆らったフタキのその後を書き綴る不自然。まるで全ては彼が書いた物語である、というみたいに。少女は、林の中に横たわるときに「天国の父や母」のことを思ってるけど、その後母親が彼女を探してる場面があったりする。

ハンガリーの人民が次々に移り変わる国家体制に翻弄され貧しさを強いられることを寓話的に映画化した、というのが骨なんだろうけど、反旗を翻すことができたフタキより、ただ酔っぱらっていたように見えてフタキを含む物語を語り続ける医者が中心にいて、ハンガリーを語る「百年の孤独」みたいな物語だと、捉えてみたい気がします。

タル・ベーラは、ミヒャエル・ハネケのような非情なドラマをタルコフスキーのように完璧な映像で表現する監督だ、と思うけど、ギレルモ・デル・トロのような南米的マジックリアリズムと対極にあるわけではなくて、最後はやっぱり寓話的に収めるんだな。というのが私の印象でした。

この映画は一度映画館で見るだけでは把握するのが難しいはず。もやもやが残っている方は、ぜひVODでもう一度、倍速でもいいから見てみるといいんじゃないかなと思います。

サタンタンゴ(字幕版)

サタンタンゴ(字幕版)

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