「マンク」を見たらこれも見たくなるでしょう。
まさかあんなに室内は暗くないだろうと思ってたら、記憶の数倍、暗かった。誰が誰だかわからない暗さ。まさに「マンク」ではそれを再現してたんですね。(しなくていいのに、見づらいから)これほど暗い画面は、「マンク」で頻出するほど「市民ケーン」では出てきません。最初の方だけ。
しかし、不動産王メディア王とか聞くと、罷免されかかってるどこかの大統領を連想してしまうけど、ケーンは暴動をあおったりしません。ぜんぜん上品に思えます。「マンク」を見る限り、モデルとなったオリジナルのメディア王もこの映画ほどセンセーショナルには思えません。
あと、この映画では、何人もの人が同時に喋ってかぶってる場面が非常に多い。リアルな場面ではしょっちゅう起こるのに映画ではみんな順番よく喋るのが違和感ありますが、この映画はリアルすぎるくらいで、字幕がなかったら誰の言うことを追っかければいいのか迷ってしまいそう。オーソン・ウェルズこれに関してはどういう意図だったんだろう。
モデルとなったウィリアム・ハーストは世界恐慌で1940年代には勢いを失ったそうだけど、1951年まで生きたので、1941年にこの映画が公開されたときは怒って当たり前だ。彼が築き上げたハースト・コーポレーションの「コスモポリタン」「エスクワイア」「ハーパーズ・バザール」 といったお高い感じの雑誌は今もお高い感じを保ってるし、なんかUSのコンビニで売ってる家庭用雑誌なんかも全部ここのじゃないか。子孫も栄えていて、この映画の公開が1955年くらいだったら、「面白いフィクションだね、モデルは誰だかわかるけど」という感覚で、この傑作はもっと正当に評価されたのでは?
本物よりケーンのほうが哀しくて愚かで魅力的だ。ギャツビーみたいな。ギャツビーと違って理解者や友人が一人もいないのも偉大な感じがする。「バラのつぼみ」の絵のついた子供用のソリは、倉庫に置き捨てられてたのかと思ってたけど、誰も気づかないまま焼き捨てられてたのね。とことん突き詰めますね、オーソン・ウェルズ。若い時代の偏執狂的なエネルギーが細部まで行き届いた映画を作らせたんだな。
やっぱり名作でした。うん。