1967年のイギリス映画。クリスティの作品はイギリスの映画化がいちばんしっくりきます。原題は小説通りの「Ten Little Indians」だけど、この直訳はもう二度と使えないだろうな。インド人じゃなくてアメリカ先住民族のことをインディアンって呼ぶのはもうみんな辞めたかと思ってたけど、アメリカ行ったら今もみんな普通に言っててびっくりしたっけ…。
今だったら、こういうシチュエーションに追いやられたら、「オーエン氏が誰であろうと、みんなで推理してみよう。彼はどうやって情報を集めたのか。何が目的なのか。」って言い出す自主探偵が現れそう。それに、死体をどこにどう置いておくかみんなで相談する、という作業もあるだろう。種明かしの場面でそれなりに説得力のある理由を提示しないと、いまの読者や映画鑑賞者は納得しないだろうから。この頃はミステリーに登場する人たちも、その場の空気にたやすく飲まれてくれるので、
時代って移り変わるからなあ。と、今回ひととおり見直してみて思うのでした。トリックが古びなくても、「携帯電話がまだない」とか「ネットで何も調べられない」という当時の状況を生かせたとしても、推理のやり方、特に読者・鑑賞者の受け取り方が今とは違うんだなー。
※最後の二人が雪の中で対峙している場面で一回再生を止めて、DVDメニューから「推理の時間」を見ましょう!(先に言ってよ~)初めて見る人はここで推理をしてみる、という楽しみがあります。