映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

市川崑監督「ビルマの竪琴(1956年)」2940本目

最近の戦争映画はおおげさな音楽を排して、現場音っぽい銃撃や息遣い、無音状態でむしろ観客の緊張感をうながすものが多いように思うのですが、この映画は始まってすぐ、美しい竪琴の奏でる音楽(手作りでこの美しい音はないけどな)が流れて、ふっと緊張がほどけます。

戦争も知らないし近代史に弱い私にとってミャンマーは旅行の候補地の一つとして夢見る場所なので、そこで縁もゆかりもない外国たちが陣地取りをして殺し合ったことがあって、その片方は日本だったなんていうおぞましいことは考えたくもないのですが、それが現実で、美しすぎる音色の竪琴はつまり「これはファンタジーの入口だよ」というサインなのでした。ファンタジーは絵本みたいなものだから、リアリティチェックをするんじゃなくて、こんな小説を書かずにいられなかった、こんな映画を作らずにいられなかった人たちの思いを読み取っていきたいと思います。「美談」じゃないよ、フィクションですよ。

オウムを肩に載せた水島僧はつまり、戦地で勝手に戦線を逃れた脱走兵。(敗戦が確定していたとはいえ)戦場で亡くなる人たちを救えなかったという思いを持ったことのある人の中には、現地で彼らを弔い続けることを夢見たい人もいたんだろう。だって、仏教国ではあるけど、勝手にやってきて戦って死んだ外国人たちを丁寧にとむらうことを現地の人たちに期待するなんて、図々しすぎる。

ほんとにこの映画は、見れば見るほど絵本だな。もともと子ども向けに、反戦思想の強い人が書いたものらしい。すべてが様式的で、わかりやすすぎる。そして若干、冗長。リアリティのなさは、著者が学生たちを戦地に送り出した立場、つまり戦地を見たことのない人だからかもしれません。感傷的でもあります。

原作の著者が、地に足の着いた自分が学生を送り出す小説を書いてくれていたら、そっちのほうが共感できたかも。そんなふうに思いました。

ビルマの竪琴 総集篇

ビルマの竪琴 総集篇

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