公開当時にこれを見た友人から強く勧められてたんだけど、劇場に足を運ぶほどの興味はなく、もっぱら彼の小説を読みながらレンタルに降りてくるのを待っていました。
三島由紀夫の書いたものはとにかく面白い。小心と大胆、ストイックさと強い欲望、矛盾だらけの人格のなかで知性が勝つ、すごく純粋で傲岸不遜な作家。
しかし私にはこの議論が、趣味でやっている実体のない言葉遊びのように感じられてしまう。何かに熱くなれるのは若者の最大の特権だと思うし、熱くなってる彼らは美しい。でも議論のための議論を展開するこの人たちが、(自然って言葉を多用してるのにもかかわらず)自分がどう感じるか、美しさや快適さや明るさとかを無視して純粋理論ってものが存在するかのように行う議論って、無為な時間に思えてしまう。この人たちはなんで、相手を論破したいんだったら、生活とか政治とかを数字とかの事実をふまえて話さないんだろう?政治のことを話してるんだと思ってたけど、哲学だったのかな。三島は「なんとなく左翼になってる秀才たち」に、そうじゃないでしょって諭しに行ったってことかな。考えれば考えるほど理解しづらくて、なぜ彼らがこんな議論に入り込んじゃったのかが気になってくる。
映画全体は、すでに知らない人はいない人気実力作家だった三島が学生たちに行った説話の語り口のやわらかさに注目して、彼への尊敬感情を促すトーンだけど、身分や階級やスクールカーストが理解できない私には、アニキぶって尊敬されたかったんだな、という目で見ることしかできない。むしろもっと批判的な目線でまとめてくれたらよかったのに。どんなに批判しようと、彼は紛れもない天才作家だったし、あと半年でも1年でも生きて「豊饒の海」を完全な形で上梓できていたら、ノーベル文学賞を取ったのは彼だったと思うから。