映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ハニ・アブ・アサド 監督「パラダイス・ナウ」2979本目

<ネタバレあり>

ザイードとハーレドはふつーの、別段志が高いわけでもない若者。彼らはある日「選ばれて」、ジハードという名の特攻へ行かされる。髭を剃られて一張羅みたいなのを着せられて、ちょっとばかりいいご飯を食べさせられて、考えるひまもなく。

ジハード前の宣言を撮影しているときに、ものを食べながら気楽にしていたり、カメラの調子が悪いからやり直せと言ったりする、上役の人たちが、日本の軍部の上の方の人たちと重なってきます。A国vsB国という前に、リーダーたちが、その国の若者をどうしていくのが本当に国のため、ひいては彼らのためになるのか。

そういう正論を言う役として、英雄の娘で上流階級、フランス帰りの女性が登場する。また、ジハードの作戦が失敗したらどうなるのか、という、世界中の人たちが疑問に思っていたことの答の一つが、この映画のなかで示される。最初はやる気だったのに怖気づいて二度目の作戦を辞退するハーレド。不安なまま作戦に参加した後、はぐれてしまった逃亡したとみられたザイードは、父が密告で処刑された過去があり、自分が二度目の作戦を辞すことで家族がこのあと被る屈辱をそのままにできず、単身、指示のないままイスラエルのバスに乗り込む。

映画はここで終わるんですよ。彼にはもう帰るところはない。でも、一度目の作戦のとき、バスの中の子どもを見てジハードの断行をためらった彼なので、もしかしたら誰もいないところで自爆したかもしれない。

すごく、変な言い方だけど、この映画は勉強になりました。いったいどんな風に普通の若者がジハードを実行するのか、ためらうことはないのか、逃げたりしたらどうなるのか。ずっと謎だったことのヒントがたくさんありました。イスラム教の国では名前や顔立ちが共通してるように思われる人たちもいるけど、ハーレドみたいに、ひげをそったらぱっと見、普通のアメリカ人と言われてもわからない人もいる。

パレスチナを占領しているイスラエルが”被害者のような顔をした加害者だ”というのも本音なんでしょうね。その人々にジハードを仕掛けてしまったら、今度は自分たちも”被害者のような顔をした加害者”になってしまう、という思いを持っているパレスチナ人もいる。イスラエルはドイツを攻撃するわけじゃなく、パレスチナを求める。パレスチナと他のイスラム教徒たちはイスラエルを、アメリカを、あらゆる非イスラム国家の人々を、攻撃する。真っ向から立ち向かわないで、攻撃しやすいところに奇襲をかける。

人間ってこうなっていく運命の生き物なんだろうか。人間以外の動物たちのほうが共存がうまい気がする。どの銀河のどの星の上でも、人間のような生物が生まれた星には同じことが起こるんだろうか。

なーんてテーマを大きくしてしまうくらい、狭い地域の短い時間のなかのわずかな数の人たちを描いているけど、この映画のテーマは普遍的だと思いました。 

パラダイス・ナウ(字幕版)

パラダイス・ナウ(字幕版)

  • 発売日: 2018/05/23
  • メディア: Prime Video